舐められるな!と責められるのがしんどい
私はとても傷つきやすく、でも、他人を傷つける方が嫌な性格です。争いを好まず、おだやかに過ごしてきました。
それは両親から受け継いだ気質と教育によるものです。
理不尽なこともありましたが、そんな不器用な私だからこそ助けて支えて下さる方にも恵まれていました。
不満よりは感謝を持ち、物事の終わりはできるだけ円満にと思っています。
そしてその方が私にとっては気持ちが楽なのです。
数年前から状況が一変し、降りかかる出来事も多く大きくなりました。
それでも私は変わりません。
理不尽なことに対し、周りの方と「大変だね。でも世の中ってそういうものだよね。私もね~」と共感しあう中で、ひとりだけ
「みんなから舐められている!さんざん舐められてる!舐められたら負け!舐められないようにあえて逆ギレする。自分を大切にしないとご先祖に失礼!神様に嫌われる!お釈迦様は~」と責める方がいます。
理不尽なときにさらに責められるので、正直本当にめいっています。
自己犠牲については過ぎる部分があるとは自覚しています。
でも、「舐める/舐められる」という概念が私には元々ないのです。「けんか上等!別れる、辞めるときはそういうもの」という終わり方も私には悲しく感じます。
無茶ぶりにこたえて達成感を得ていても、「それは舐められている。舐められるからそんなことを依頼される」と言われます。
そうかもしれませんが・・・。
「舐められている」という言葉がアホバカマヌケ!と言われているようにも感じます。
私のご先祖様は、けんか上等で「舐められたら負け!舐められるな!」と逆ギレを望まれるのでしょうか。
生きている人にも、ご先祖様にもそれぞれの考えがあると思います。
でも、神が!釈迦が!ご先祖が!、と責められると自分がとんでもない罰当たりな生き方をしているようでつらいです。
私にとって自分を大切にというのは、利益ではなく自分らしくということなので、自分を否定されたように感じます。
仏教において「舐める/舐められる」「逆ギレ」とはどういうことでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの価値観をこれからも大切に
こんにちは。
前回の2月の質問でもご縁がありましたね。
過去の質問でも連続して問題になっている、かの「仏教に傾倒しておられる方」のことのでのご質問と見受けました。断片的な仏教知識と「波動」云々を言っている件の人ですね。
論点をはっきりさせるために、まず明確に言います。
先方も、あなたもきちんと理解できていないことがあります。
この一連のやり取りは、一次的に仏教の問題ではありません。
その人は、自分勝手にふるまったり(前回の質問の状況から)、自説の権威付けや補強するために、仏教、「神様」、「波動」等の価値観を飾りとして利用しているだけです。仏教を我田引水の道具にしているだけ、です。
一方、あなたは前回までに見られるように、その人の声の大きさに引きずられてしまっている。その人から乱暴に投げつけられた言葉を自分の方で正面から引き受けてしまっている。
前回、「悠水御住職様の仰せのように、取り合わない、ということに致します」とお礼で書いてくれていました。これを取り上げたのは、あなたを責めているからではありません。人間、すぐに方向転換はできないのも良くわかります。ただ、同様のやり取りになっていますよ、ということに気が付いてほしいのです。
つまり、理不尽なことを言われる、受け流せずに正面から受け止めてしまうという構図を再度意識していただけたらな、と思います。
一応、「舐められている」ということをアドバイスとして、一万歩譲って教訓にするならば、あまりに譲歩しすぎたり相手の意向通りにしてしまうと悪意を以てつけ入ろうとする人に足元をすくわれることもある、程度です。その程度です。
「不満よりは感謝を持ち、物事の終わりはできるだけ円満に」、という価値観は素晴らしいものです。日本で初めて仏教を理解した人といわれる聖徳太子様の和を以て貴しとなす、と通じます。
17条憲法の中にも、他人のことを愚かと思うなかれ、仏様の視点から見れば私たちは共に愚かなもの同士なのだからというニュアンスの一文があります。だから、あなたの価値観をこれからも大切にしていってください。
質問者からのお礼
釋悠水御住職様
この度もご回答頂きありがとうございます。まったく仰せの通りです。
「舐められるな」と責める人こそが、一番私を舐めているのかもしれません。構図を考えたときに、俯瞰してみたときに、そう気づきました。
他者を攻撃するよりは、他者の一言一句に振り回されない芯を持つことが、舐められない方法かもしれません。そもそも、舐めるの舐められると言う言葉自体が「波動が低い」と思います。
両親は宗教の教えを説くことはありませんでしたが、おだやかに私を育ててくれました。
両親の庇護から離れて、社会にもまれて、傷つくことも損をすることもたくさんありますが、自分の価値観も大切に、他者への寛容も大切に過ごして参ります。
舐められるよりも、いけないことが、私の中にあることも再確認しました。いつもありがとうございます。取り急ぎお礼まで。
17条憲法も見て参りました。お導きに心より感謝申し上げます。