私を嫌っていた人が亡くなりました
私を嫌っていた人が亡くなりました。
私も傷つきたくなくて避けました。
そんな関係が長いこと続いていました。
故人はどのような気持ちで私を見ているのか考えると胸が苦しくなります。
私なんかに供養されたくないんじゃないかと思ってしまいます。
今まで、身近な人の死は、感謝しかありませんでした。
今回は自責の念で、また、相手から嫌われていると感じてただただ辛いです。
私が供養していていいのかまで思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご安心ください…仏様に成られておられるのですから。
故人様は仏様と生まれられました。
それはつまり、もう生前のお方では無いということであり、生前のお心を持つものでも、またあなたの思い出のままのお方でも無いということでもあります。
仏様は智慧と慈悲に満ち溢れたお方であり、それはすべてあなたに向けられているのだと受けとめて下さい。
仏に成るとはそういうことです。仏教とはそのことをそのまま頂く教えです。
そうしますと、事実として 生前そのお方があなたとの関係がよくなかったとしても、仏様となられた上は そんなことはもう全く問題にならないのです。
ただあなたの身を心を心配し、だからこそあなたに寄り添い、支え、そしてあなたを苦悩から解放するために、あなたをさとりのいのちへと導き続けて下さいます。
そのこと つまり故人様が仏と生まれられたことを頂くことで、あなたは御自身の持つ苦悩から解放されます。
浄土真宗では「仏様を供養する」という受け止め方以上に、仏様の我に向けられたる御慈悲を頂き、そのことに感謝することを大切にします。
どうか、故人様は仏として、今のあなたの苦悩に寄り添い続けて下さっていらっしゃること、そしてだからこそ、今あなたのことを嫌っていたり、傷付けようなどとは、ゆめお考えになるお方ではないことをはっきりと申し上げます。
どうぞご安心の上、あなたの為におはたらきくださる仏様への感謝の思いからお念仏もうして下さいませ。
そんなあなたの姿をこそ仏様は喜ばれるのです…。
質問者からのお礼
答えてくださり、ありがとうございます。
元主人はまさに浄土真宗でご縁を感じてしまいました。
一昨日,リビングに小さなスペースを作り供養しています。
写真に言葉をかけたり、連れ出しています。そういうことをしていることで、わずかですが、心が穏やかになりました。
それでもなお,いろいろなことを感じてしまいます。
小林住職の文を読ませていただき,心が軽くなりました。
ありがとうございました。
また、辛くなるとき読み返しながら前に進んでいきたいと思います。