今まで幸せすぎたせいで、苦しいです
現在大学4年で春から就職する女です。
私は最近一人暮らしを始め、就職に向けて準備しています。
悩みは、両親のことを考えると苦しくなってしまうことです。
わたしは都会で一人暮らしをし、両親はここから電車で2時間弱のところ(地元)に引っ越しました。家族で住んでいた街より田舎で、家は大きいですが閉鎖的な田舎で両親が嫌な思いをしないか心配です。
また、兄も私も何不自由なく豊かに育ててもらい、感謝の気持ちでいっぱいですし、本当に本当に両親が大好きです。今までの人生とても幸せでした。幸せすぎたからこそ、その反動で両親からの独立が寂しくて悲しくて仕方ありません。
うちはかなり高齢出産なほうなので周りよりも一緒に過ごせる時間が短いのも悲しいです。独り立ちするだけでもこんなに辛いなんて、両親が天国に旅立った時私は生きていけるのでしょうか。
こんなに寂しくて切ない思いをするくらいだったら、いっそのこと親離れできてせいせいすると思えるくらい嫌な思いをしていれば良かったとすらまで思ってしまいます。
わたしにはこちらに優しい恋人もいますし、春からの仕事も公務員で、しっかりと生きる基盤を作れているのですが、気持ちの基盤が作れていないです。ずっとずっと子として親と幸せに過ごしていたいし、自分が親になることは想像できず、体だけ大きくなってしまった子供のままです。
今まで幸せだったのは良いことなのでしょうが、幸せすぎたが故に、今までの幸せを返せるわけがなく苦しいです。
そして、親は私が独立することで幸せになってくれるでしょうか?子供がちゃんと生きていけることが幸せと言ってくれますが、私が生きるだけではこの恩と愛情は返せないと思いますし、独立することで親は寂しくなってしまうと散々育ててもらって恩返しもせずに家を出るのが申し訳ないです。
乱文長文、親離れできていない幼稚な相談ですみません。
どうやって乗り越えていけばいいのでしょうか
ずっと子供でいたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
貴方が独立した大人に成ることが親の喜びという事もある。
愛の形って色々あるとおもうんですね。ずーっと相手の事を思って、四六時中そばにいることも愛の形なのかもしれないけれど、それだけではないです。遠く離れていても、例えば年に何度かたまに相手の事を思い出すだけでも愛があり、思いやり合っているという事ってあると思うんです。場合によっては嫌ってても、心の深いところで尊重していると言いう事すらある。それで十分って言うか…
今まで貴方は「近くにいて深く想い合う」という形の幸せを経験してきたと思うんですけど、これからあなたは色々な形の愛や幸せを学んでいくべきなのかもしれませんよ。実は人生には、親から離れた所で初めて見えてくる愛や幸せの形もある。それを学ぶ時なのでは?心理学者のエリクソンによれば人生にはライフサイクルがあり、青年期は己の価値観を何度も壊したり作ったりする時期です。疾風怒濤の時代とも言われます。成長しようとする時は心が揺れ動きます。でもそれでいいのです。その揺れ動きや悲しみ、葛藤も含めての人生なのです。場合によっては不幸すら大切な経験だと思うんですね。
「独立することで親に恩返しできず申し訳ない」と言っているんですが、それは少し違う気がするのです。親と貴方は別人格です。一つにはなれないしならなくていいのです。親にとっての喜びは貴方が貴方の人生を歩む事です。親は貴方と一緒に死んでいけないのだから。そして貴方は恩返ししていないと言いますが、それは違います。全ての親は「子供を育てる経験をする」ということで、すでに子供から贈与を受けています。貴方が、独立した人間になる事ことが贈与なのです。逆の立場になって欲しい、貴方が子育てをするとして、子供からことさらに家を建ててもらったり、金品を受け取ったり、特別な恩返しを本当に必要とするでしょうか?それでは取引になってしまいます。親の役割は子を育てること、子の役割は育ち独り立ちする事、そこで完結しています。
貴方が親に執着すればそれこそ、親も貴方無しでは生きていけなくなるかもしれない。それは場合によっては愛ではなく執着・依存になってしまうかもしれない。
最初の話に戻りますが「今までの幸せから一歩踏み出し新たな価値を自分で構築する」という視点も持っていいと思うのです。
【貴方にお勧めの本】近内『世界は贈与でできている』、鳥羽『おやときどきこども』『親子の手帖』フロム『愛するということ』
質問者からのお礼
最近ずっとこのことを考えて苦しかったのですが、回答を読んで心が軽くなりました。
両親の思いをつないでいけるよう、1人で頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました。