お坊さんの恋愛
こんにちは。つい最近、博物館にて最澄と天台宗に関する展覧会を観てきました。日本仏教の歴史にまだまだ疎い私ですが、勉強になっただけでなく、まるで生き物のように精巧で滑らかに彫られた仏像や、美しい文字で書かれたお経には心揺さぶられました。
色々と気になる点も出て来たので、ぜひこれからも仏教文化について学んでいきたいです。
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さて本題の質問なのですが、恋愛についてです。
こんな私でも恋はしたことがあるのですが、そのアップダウンに疲れてしまいました。というのも、相手を思い煩ったり、相手の反応に一喜一憂したり、相手の人間関係に嫉妬したり、「平穏」からはとても離れた心境になってしまうからです。
恋というのは欲望と深く繋がっているところもあり、なかなか制御が難しい感情のように感じます。
その方との関係も終わり数年たった今では、「恋愛なんてもういいや。面倒くさいし振り回されたくない。」という心境になってしまっています。
しかし結婚適齢期といわれる歳にもなり、人生の伴侶を得ることを淡く望むようにもなり、このままではいけないと思っています。
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日本のお坊さんの中には、結婚されている方も多くいらっしゃると伺いました。
お坊さんは、恋愛結婚をされたのでしょうか?
もしそうでしたら、どうか人生の先輩として、体験談や、健全な恋愛を育む為のアドバイスなどありましたらお話を伺いたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「恋愛」あってこそ、「結婚」あってこそ
こんにちは。
前回のご質問でもご縁が有りましたね。
「恋愛結婚をされたのでしょうか」とのご質問です。
はい、しました。
以前の他の方のご質問でも回答しましたが、大学出の後にお寺の傍ら特別養護老人ホームで介護職として勤めていました。その際に知り合ったのが、現在の家内です。老人ホームに勤めたのは、僧侶として老病死の現場に身を置きたいという思いが第一に有りましたが、そこに付随しての縁がありました。
「恋というのは欲望と深く繋がっているところもあり、なかなか制御が難しい感情」と書かれていることは、私にも思い当たります。
ただ、結婚して20年経つ今から振り返れば、その「恋愛」「結婚」そして子供を授かるということがない人生は考えられません。それは、「振り回され」るという心が波打ってしまう負の一面を差し引いてもそう思います。これで良かった、いやこれが良かったのだと思うのです。
一般に「恋愛」や「結婚」をしない人生あるでしょう。
しかし、私は「恋愛」もしたかったし、「結婚」もしたかった。そこに多くの理屈は必要ないと思います。その意味で「健全な恋愛を育む為のアドバイス」という大上段からのコメントをするつもりはありません。「欲望」(健全な)にストレートであっていいし、「制御が難しい感情」でぶつかったり、涙を流したり、腹から笑いたいのが人間本来の姿です。また、私の仏教ではそれを否定するものでも有りません。
幸福は一人では味わえない、そう思います。
どれだけの山海珍味も、一人で食べると大して美味しく有りません。
でも、自分を知ってくれている人、気のおけない人と食べると何でも美味しく感じます。
美味しいねと言えば、そうだねと応えてくれる。
苦しいと言えば、大丈夫?と心配してくれる。
味方になってくれる、知っていてくれる、弱さを受け入れてくれる。
「恋愛」も、「結婚」も始まりは他人からです。
他人が、何の縁か最も身近な人になる。
こんな体験なかなか有りません。
この世の縁尽きる時、あなたと一緒で良かった。
そう思えるほどの縁は、「恋愛」あってこそ、「結婚」あってこそだと私は思います。
「アドバイス」というより、自分の思いだけを書きました。
回答になっていないかもしれませんね・・・
恋愛・結婚というか…人生として
拝読させて頂きました。
あなたが仏教や僧侶に対してとても関心を持たれていることを心から嬉しく思います。あなたがこのようなご質問をなさってくれることもとても有難いことだと感謝申し上げます。どうかこれからも仏教や僧侶についてご関心を持って下さいね。
さてご質問ですが、
私も恋愛結婚です。そして一度離婚して再度恋愛して結婚しました。
約10年前に私がお寺に戻ってきてから地元で出会って結婚しました。今は子供一人を家族で育てています。
正直なところ今私にとっては一番充実した幸せな時間を過ごさせて頂いていると感じています。
出会い・結婚し・離婚し・そして再度結婚しました。詳細は省かせて頂きますが一言では言い尽くせない程の愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦をとても味わいました。つまりは仏教の教えである「苦」を身をもって味わいました。
とはいえそれはどれも決して無駄なことではないと感じますし、私が一人の人間として生きて成長していく為には必要だった欠くべからざるものであったと思います。
私達が生きる中で人との出会いは喜びでもあり悲しみでもあり苦しみでもあり幸せでもあり不幸でもあり得ます。それはやはり自分達が生きていく道でもありますし、一つ一つ味わってみて骨身にしみてきて初めて分かることは沢山あると思います。
それは「恋愛」や「結婚」だけに限ることではありませんけれども様々な巡り合わせの中で人との出会いや別れを通して本当に人生とは何か、生きることとは何なのかを身をもって体験しながら学びとって成長していくもとになると思います。
その中で「仏教」の教えを生きていく中で役立てていくことができるのです。
ですからあなたにもどうかこれからも様々な人との出会いを積極的に体験して頂きたいと切に願います。あなたが生きる糧や生きる意味や目的を見つけていく為にもぜひいろんな方々と出会って共に体験して味わっていって下さいね。
あなたがこれから素晴らしい出会いに恵まれてその方々とのご縁を深めていかれ人として成長なさっていかれ豊かな幸せな人生を皆さんと一緒に歩んでいかれます様切に祈っています。
あなたにこれからの未来を生きる中で「仏教」の教えを役立てて頂いて素晴らしい人生を歩んで下さいますよう切に願ってます。
ありがとうございます。きっとあなたにも素敵な出会いがありますね!祈っていますね。
質問者からのお礼
釋悠水さま
度々のご回答ありがとうございます。貴重なご意見、興味深く読ませていただきました。
「感情に振り回されること」をご自身も経験されたり、その上でそれを肯定されているという所に親近感をおぼえました。
宗派や個人によっても違うのでしょうが、私は「仏教は情熱的な恋愛に否定的」というような印象を持っていたので実際のお坊さんの恋愛感に興味をもち質問させて頂きました。大変参考になりました。
どうかご家族様と、これからも末永く幸せな日々を送っていかれることを願っております。(^人^)
Kousyo Kuuyo Azumaさま
貴重なご経験を共有して下さりありがとうございます。私にはまだ結婚・離婚の経験はありませんが、文書を読んでいて、想い人をなくした事や複数の親友と一度に絶交した事を想起し思わず涙ぐんでしまいました。様々な苦を経験されたとのこと、私めにはその全てを理解する由もありませんが心中お察しいたします。
現在、充実した日々を送っていらっしゃるとのこと、嬉しく思います。苦しい経験が後にあって学びであったと分かる、という経験は私もしたことがあります。ですが実際に、私よりも様々な人間関係における苦を経験されたであろう上で、今「幸せ」だと感じられているAzuma様のお話に、より一層の説得力と希望を感じました。
頂いたお言葉を心に留めて、これからの人間関係に臨んでいきたいと思います。ありがとうございました。