死産した子に対しての思い
18週で流産しました。
突然の出来事で医師から「どうすることもできないこと、予防することもできなかったことです」と説明を受けました。
前兆もなく、本当にどうすることもできなかったためただ、赤ちゃんがいなくなって悲しい、という感情以外は湧いてきませんでした。
夫も「考えても仕方ない、来てくれたことに感謝して忘れないでおこう」と言っています。
流産した直後に友人から計画外の2人目妊娠報告を受けて
(どうして自分の赤ちゃんがいなくならなきゃいけなかったのだろう?)と思うようになりました。
ぶつけるところがない悲しみを友人の幸せな報告に八つ当たりしているのではないか、自分で考えを拗らせているのではないか
何か原因があって、とことん落ち込んで
自分を責めれたら少しは楽だったのかなぁと思います。
しかし、原因がないため後悔することもできず
ただただ、悲しみだけがあるだけです。
お骨がなく、夫の希望もあり
位牌は用意しない方向です。
「時々思い出してあげる」
そのような供養にしようと夫は言います
(形ある方が余計に悲しい、立ち止まってしまうとのことです)
赤ちゃんに対しての思いをどのように持ち、
毎日の生活を過ごして供養したらいいのか
教えてほしいです。
お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
祈りを捧げる
なかな 様 相談ありがとうございます。
混乱している感じでしょうか?
お腹に宿った命が、理由もなく次の世界へいってしまったのですから、混乱してしまうのは当然だし、自分を何となく責めたり、後悔してしまうのは致し方ないと思います。
ご主人とか、親友とかの信頼できる人に良く自分の気持ちを吐露して、聴いてもらって、温かく優しい気持ちに浸れるようにしてください。
嘆き悲しんでもいいし、思いっきり泣いてもいい。
でも、あなたが悪いのではないので、自分を責めるのだけはストップしてください。これは私からのお願いです。
そして、あなたのおなかに宿った命が、次の世で、幸せにしていられることを祈ってください。見えないし、応えもないと思うかもしれないけど、あなたの祈る心に必ず何らかの信号が返ってきます。
「形ある方が余計に悲しい、立ち止まってしまうとのことです」が、しばらく立ち止まってもいいし、形あるものに向かって、ずっと幸せを祈り捧げてもいい。
手を合わせて祈りを捧げていれば、自然と思い出してしまいす。そんな自分を認めて、自分に優しく寛容にしてください。それでいいのです。
やがてだんだんと温かく優しい心が増してきて、宿った命に感謝もできるでしょうし、その子と時々一緒にいるような感じで、優しい笑顔も出てくるようになるでしょう。それでいてこれまでの生活と変わりなくできるようになるでしょう。
幸せの祈りを捧げること、これを優しく温かく続けてみてください。
一礼
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
次の世で幸せになれるように祈ることも我が子にできることなんですね。ありがとうございます。