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他人からの意見について

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有り難し有り難し 9

ゼミで発表があり、ゼミ生から内容に関する鋭い指摘を受けました。有難い意見、と認識することは到底できず(相手の言い方の問題もありますが)、自分が否定されているような気持ちになり、今日一日中泣いてしまいました。これは、守ってきたプライドが傷ついたからなのか、私が繊細だからなのかが自己認識の段階で明らかではありません。誰かからの意見を自己批判と捉えて感情的になってしまう私は人として未熟なんでしょうか。

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫。乗り越えましょう

未熟かどうかの問題ではないです。
未熟だろうが完熟しようかの問題でなく
気づくか気づかないかの違いだけです。

先日M1という漫才大会のテレビを見ていました。
思うような結果の出なかった漫才師さんは人目も憚らず泣いてました。
それだけ大事にしていたから、感情が動いたのだと思います。

私も、私なりに精一杯考えた説教原稿をつまらない、役に立たない、救われないと言われて人知れず泣いたことは何回もあります。

でも、今、大丈夫なのは、一部と全部は必ずしも同じではない違いを知ったからです。

私だって自身の核心に触れられたら、傷つきます。ダメージうけないために反論したり強がったり、相手を威嚇します。
でも、核心はコアであっても全てではないです。
自分という存在の一部です。

心臓や脳はダメージ大きいと致命傷になりますが、僕という存在は心臓と脳だけで成立してるわけでないです。
また、心臓や脳でなくても、致命傷でない深爪や擦り傷も、痛いものは痛い。
他のことが手につかないくらいのダメージは一時的に受けます。
でもその反応は変じゃなく当然です。

自分の尊厳に触れる部分は傷つくとダメージ大きく、脳が誤認しがちですが、それは必ずしも自身を全否定しているわけではないという防衛は持ち合わせる方が生き易いです。

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

質問者からのお礼

ご丁寧に温かくご回答頂きありがとうございました。一つ一つ、言葉を選んでお声をかけて下さっている親切で誠実な姿勢を頂いた文章から読み取ることが出来ました。存在ごと肯定して頂いた気持ちで、生きることに積極的になれました。本当にありがとうございます。また機会があれば、宜しくお願い致します。

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