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神社まで行きお参りをせず帰るのは悪い事か

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年越し後、0時過ぎに友人と集まったのですが初詣をする、福袋を買いに行く、などと予定があったわけではなくお互いの顔を見てその辺を散歩しようというボンヤリした感じで集まりました。

集まった場所の近くに神社があり、太鼓の音が聞こえたので何だろう?という興味から神社の方に行きました。入口の方まで行きましたが、お参りの列はだいぶ長く、その上お互いいつも行く神社ではなかったのでお参りはせずに引き返しました。

そうしたら、歩いている途中に目に衝撃が走り、その瞬間は何が起きたか分からなかったのですが、足元を見ると小さな透明なものがあり、最初は誰かが私の目に向けて自転車の反射板でも投げてきたのかと思いましたが(どんな状況だ?という感じですが)よく見ると自分の眼鏡のレンズでした。

眼鏡のレンズはそう簡単に外れるものではないと思いますし、外部からの何かしらの衝撃がないと外れるものではないんじゃないか…と思います。

もしかして神社の入り口辺りまで行ったのにお参りをせずに引き返した、悪く言えば冷やかしのような事をしたから怒られたのじゃないか?と思いました。
それと同時に、そんなことを思うのも失礼なんじゃないかと思います。

神社の敷地まで入ったのなら、お参りはするべきですか?
私の取った行動は失礼にあたるのでしょうか?
正直、少し今怖くなってしまいまたあの神社に近付くのが怖いです。日頃から行っていた場所ではないですし、生活圏内ではないのでこの先の人生、避けようと思えば避けれる場所なのですが、謝罪?の意味を込めてお参りに行くべきでしょうか。

教えてほしいです。お願いします。

2022年1月1日 2:54

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

時間が有る時に、参拝に行ってみましょう

あけましておめでとうございます。と言われても、新年早々不安に感じることが起これば、おめでたい気分にはなれませんよね。


歩いている途中に目に衝撃が走り、

ということが有って、メガネのレンズが落ちていた。「何かありそうだ。神罰なのかも?」と不思議に思い、不安を感じるのも、止むを得ないのかもしれません。

 私の回答は、
「気にする必要はありません。でも、混んでいたり時間が無くて神前近くまで行けない場合は、遠くからでも一礼しましょう。」です。

 その地域に長年祀られている神様です。その地域と住民を守護されて居られる神です。そういう神様が通りすがりの人に罰を下すとは考えられません。メガネのレンズが落ちた原因は他にあると思います。例えば、自動車のタイヤが小石をはねて飛んできてメガネに当たった可能性も考えられます。神様が罰を下した可能性よりも、こちらの方が可能性が高いと思います。

 今回のような質問を拝み屋さんや占い師さんに相談すると、「神仏の警告です。」「先祖の祟りです。」と言って、神仏や御先祖を悪者扱いする場合があります。そして、拝み屋さんの術中に嵌まって、怪しげな御祈祷をしてもらうことになります。何事も、良き相談相手を得ることが大事です。

 特別な奉仕でなくても、構いません。日頃から神仏や御先祖への礼儀作法を学び、仏前では合掌礼拝を、神前では二礼二柏手一礼を行うように、努めましょう。

 

2022年1月1日 11:49
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「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
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神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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