無謀な挑戦、するべき?
客観的に無謀な挑戦をするべきかやめるべきか迷います。
私はやりたかった事を学べる学校への受験の準備をしています。
両親には国内トップクラスの所だったらお金払うと言われ、奨学金はダメと言われています。
落ちたら自分で稼いで適度にやる算段はついていて、別のやりたい事で会社の内定を貰ってます。
そんなことをしていたら、選べなくなってきてしまいました。
意欲に自信がなくなっていって総合的な自信も落ちていき、
今まで相談した大人、皆無謀だと思ってるだろうな 自分何やってるんだろう、と思ったりします。
4年間心と体すり減らして目指してたことへの意欲が薄れていくことに戸惑い、この心変わりにより今後後悔するんじゃないかという不安もよぎります。
自分のことを客観的に見て、他者との差を知ったり身の程を知れたらいいのに、わかることを拒む自分がいたり、自信過剰だったり自信なかったり面倒になってどうでも良くなったり、、
贅沢な悩みだとは自覚していますが、思考の沼から脱せれる助言をいただけませんか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
第三者に説明ができるほど計画性がありますか
こんにちは。
私は、「皆無謀だと思ってるだろうな」ということでも是非挑戦したら良いと思います。私自身、「無謀」だろうが何だろうがやってみせる、という姿勢が大好きだからです。
ただ、そこにはある程度の計画性が必要です。
計画性がなければ、ひと度「意欲が薄れていく」と挽回できずに、結局諦めてしまう方向に行ってしまいます。猪突猛進の心意気は良いですが、木にぶつかってしまうことを見越す準備は常に必要でしょう。
あなたの文面には、一見して方向性と関連性がわからない、或いは矛盾した「やりたい事」が2つあります。「やりたかった事を学べる学校への受験の準備」と、「別のやりたい事で会社の内定」です。
文面には、「会社」で働くのは「学校」の学費を払うための手段であり、「稼いで適度にやる算段」はついている、と書いています。これは、学費捻出のために一時的に働いてお金を得たら辞める、ということでしょうか。それとも就労しながら学業が両立できるという「算段」がついているということでしょうか。そのことが明確に第三者に文章で伝わるように説明できているようには見えません。
あなたは、「自分のことを客観的に見て、他者との差を知ったり身の程を知れたらいいのに、わかることを拒む自分がいたり、自信過剰だったり自信なかったり面倒になってどうでも良くなったり」と書いています。もしかすると、計画性自体が曖昧なのをそのままにして、意欲だけを頼りにしようとしているのでは有りませんか。
また、そんなに「会社」での就労が簡単でしょうか。新卒で仕事をしながら「学校への受験の準備」ができるでしょうか。そもそも、恐らく大学のことを指しているのでしょうが「4年間心と体すり減らして目指してたことへの意欲」があるのなら、そもそも編入学でもその「やりたかった事を学べる学校」に移らなかったのは何故でしょうか。厳しく考えるなら、あなたはモラトリアム期間の延長を望んでいるのではないですか。あるいは、たらればで将来を考えてしまっていませんか。
第三者には事実関係が分からないことが多い質問なので、分からないことは分からない、疑問なことは疑問だと回答しました。
あなたが、第三者にこういう計画性がある、疑問はあたらないと言えるのならばそれで良し、です。頑張ってください(字数制限)
ちょっと聞いてみて検討してもいいと思います
拝読させて頂きました。
詳細なというか具体的な内容がわからないのでそれが一般的に無謀なことなのかどうか判断がつかないところですが、試しにその目標に向かってどうやっていうかを考えてみて第三者の方にご意見を伺ってみてはいかがでしょう。とはいえ第三者の方の意見が全てではありませんからあくまで参考意見位の軽い気持ちでもいいと思いますよ。
今でなければできない挑戦や研鑽はあります。この時でなければできないこと、行けないところ、やれないことも沢山あるはずです。
自分の夢や目標を思いつくことだってとてもかけがえのないことですからね。そもそも思いつかなければ何も始まりませんし、やってみなければ先は見えませんし答えも出てきません。
ある程度想定しながらもやってみてまた引き返してもいいこともあると思いますからね。
いずれにせよ誰かに聞いてもらってそれから自分なりに整理してみて検討して自らご判断なさってみましょう。
あなたを心より応援していますね。あなたの未来が一層充実した潤いあるものとなります様に心より祈ってます。
先ずはがんばってくださいね!あなたを心から応援していますね!(^^)/
そうですか!これから新たな一歩が始まりますね!、がんばってくださいね!(^^)
良い意味での「根拠の無い自信」をもとに挑戦する時。
今、50才の私ですが、昔、20代の頃は無限の可能性を感じていました。今にして思えば「根拠の無い自信」を持っていたと思います。
何にでもなれる。自分の人生は自分しだい。
ところが年齢を重ねるに伴って、就職の条件は年齢で限られてきますし、自分の家庭のことなどのしがらみも増えていき、選択肢という可能性が、どんどん狭められていき無くなっていくという、もちろん、自己実現していくからこその反面とも言えますが、寂しい感情を持つことが私の経験の一つです。
もちろん、年齢や年代によっての感じ方は、個人差がありますし、いくつになってもチャレンジ精神の旺盛な方もありますので、一概にはいえませんが、社会的にチャレンジができる環境がより整っているのは、やはり、20代とか30代、もしくは10代などの年代になるでしょう。
また、そもそも無謀かどうかは、実際に取り組んでみないと分からないことでもあるので、まず挑戦してみることが何より大切です。しかし、その肝心な意欲と自信が揺らいでいるということであれば、確かに悩ましい選択になると思います。
「根拠の無い自信」を持つことのできる時期は、ある意味、限られています。
今という時を大切に、悔いのない選択をできるように応援しています。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。また情報量の足りない質問をしてしまい失礼いたしました。
大学4年間はやりたいことをできる大学に行っていたので、編入はしませんでした。その中でも1番行きたかったところには落ちていたので、そこを院入試として再度受ける最後のチャンス、ということになっています。
「会社に入って適度にやる」というのは、大学でやってきたきたことを卒業後趣味程度に続けるという意味で、目的が大学院の学費ということではありません。長い目で見て再度院試を受ける可能性はありますが側近の第一目標ではありません。
計画性で言うのであれば、今会社に入る方が正直実感を持って将来の計画が立てられるかも知れません。そちらも自分の努力次第、やってみないとわからない部分があるので今からきっちり計画を立てるのは難しいのですが。
挑戦の方は無謀すぎて、「もっと突き詰めたい」と言う意欲だけが強くあり、実現した未来を実感を持って想像できない状態です。
例えば大学院に行けたとして、自分の実力では突然才能開花するとかはなく、もう一度大変な就活をすることになってしまうのかなと考えますが、専門性が高いという学科の特性上、卒業後就活すると面接で言ったりするとマイナスだと思われています。
モラトリアムには甘えたくなりつつもうんざりもしていたのでそう言う意味では早く就職したいです。
でも前向きな意欲としてどちらも魅力的なんです、、。
のちにご回答くださる方がいらっしゃったらここを読んだ上で回答していただけることを願いつつご返信させて戴きました。
ありがとうございました。
編入に関して追記させて戴きます。
3回仮面浪人をしていたので、編入のために出来ることは概ねやっていたと思われます。でも不可能でした。
ですので入れた大学で出来ることは可能な限りやり切りました(目標が高い性分なので実現できた割合が自己評価では低いので自信なさげな言い方をしていますが、手持ちの時間と金と実力と環境との中ではかなりやり切ったと思います)。
ここまでくると、その大学と言う目標に囚われて周りが見えなくなっているかもとも思い、そう言う状態だったらやだなと思ったので、自分を客観視したいと言う意味も、最初の質問に含まれていました。
ご回答ありがとうございます。
今挑戦できる環境が整っていることは運がいいことと実感しました。
不安になってる場合ではないので、しっかり当たって砕けてみようと思います。
砕けなかったら大喜びします。
丁寧なご対応ありがとうございました。
追記失礼します。
無謀な挑戦、見事砕けました。
やったことで、もやもやした未練が断ち切れて、マイナススタートでもやっと冷静に建設的に未来を考えられるようになりました。
ご回答ありがとうございました。