大きな幸せ、大きな目標
生き方について相談したく質問させていただました。
私は学生の時くらいから自分にいつも大きな目標を課して、その目標が大きすぎるから達成することができず、満足感が得られない状態が続いています。
幸せに対しても同じで、大きな幸せを求めすぎています。こちらに関して小さな幸せを毎日の中で見つけなくては、と思って変わろうとしています。
しかし、目標に関してはエサを頭の上で吊るされている犬みたいにずっとエサを求めて走っているけれどエサは遠ざかるばかりみたいな状態で、このままでは身も心もクタクタになり、さらにはエサ(ゴール)も全然近付かない。
しかし、5年前を振り返ると、目標は達成していませんが、少しずつ(ほんの少し)成長はしているなとは感じております。
私にはとても大きな夢があり(私にとってはとても大きい)、今まで頑張れたのも自分に大きなプレッシャーを与えてきたからだと思います。だから、大きなプレッシャー大きな目標を与えなくて、頑張れるのだろうかという不安があります。
小さな目標を少しずつ立てて、夢を叶える方が心が楽だと思いますが、結局大きな目標が常に心のどこかにドシつと構えてるので心は楽になりません。
なかなか柔軟性のない頑固な性格で、これについては混乱気味です。
この夢は私には大きすぎるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
夢を建設的に表にだしてみる
拝読させていただきました。
夢のとらえかたは人それぞれでもありますが、叶わない夢などひとつもないと思います。
ただ、夢は逃げないですし、夢から離れていってると思っているだけの気持ちが遠ざけているかも知れません。
題目で「建設的に表に」と記しました。
夢に到達するまでには、さまざな工程があります。
例えば、マイホームを購入したい夢があれば、すぐには手に入らない。しかし、毎月コツコツと貯金をし、無駄遣いをしなければマイホームに近づいていきます。
人生にはエレベーターやエスカレーターはなく、自身の足で日々歩み続けていく中に、工程という「夢への段階」がモチベーションを落とさないことでもあります。
その夢に、時間制限(年齢)があるのであれば、限界はあります。
しかし、夢をもつ人は努力を自然にできており、夢を叶えられなくとも、夢に向かう邁進という屈しない精神力や、こんな私にもこんな感情や頑張れる力があったんだなどと、後々に夢と他の方向へ進もうとも、新しい夢や、自身が本当にやりたかったことに気付くことが多いです。それこそが自身の『宝(財産)や生きる力』と変化していきます。
例えの話しでもマイホームを手にしたけども、ローンが残る、年数とともにリフォーム(メンテナンス)費用までを算段していくことが大切です。
東大に合格しても、まださらに難解な勉学が待ち構え、夢の向こうにはまだ大きな夢をもつことが肝心です。
努力しても成功するとは限らないが、しかし成功している人は皆、努力している。とあります。
ここで肝心なのが、「努力の仕方」です。
1ミリのズレが生じると一年で365ミリのズレが生じます。
努力している中で、ときには立ち止まり「この努力は間違っていない努力なのか?」を自己確認することも大事です。
ここで大切なのは、他人から決めつけられたりすることは無視しなければなりません。それは他人の価値観で、他人の評価を決めようとするからなのです。
山登りでも、まずはここまで登り休憩、あともう少し登れば、新しい景色が自分の目で見れるんだと信じていくことです。
信じる力には、自分を疑うときもあります。しかし、夢というものは中々見つかりもしないものです。
夢が叶えられなくとも、今「菜の花さん」は、夢の中を走っているんです。
合掌
質問者からのお礼
法源様
ご回答ありがとうございます。時には立ち止まってみる、ということをちゃんとしていなかった気がします。こんなに頑張っているのになんで?と不満ばかり漏らしていたかもしれません。定期的に自分の現在地、やり方を客観的に確認していきたいと思いました。ありがとうございました。