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家族に迷惑をかけてまで生きたくありません

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有り難し有り難し 10

生きている価値が見出せません。

両親には無駄な期待をさせてしまいました。かつては色々できた気もするけど、今、私はただ生きているだけの嵩高い何かになってしまいました。

昨年、大学に進学しました。
両親は、学費のことは気にせず、私立でも何でも、行きたいところに行きなさいと言ってくれました。
現在は国立の大学に通わせて貰っています。数ある志望校の一つで、静かでとても良い大学です。学費を払っているのは両親です。

両親は私のことを愛してくれますが、血縁関係による義務感、人間の本能の様なものがそうさせているのであって、本当なら私の様な人間は愛されるべきではありません。
私は何の役にも立ちません。よく喋るし、計算や速読ができるけどそれだけで、大学がない日は寝てばかりで、バイトもせず、しかもしょっちゅう体調を崩して熱を出します。
それに比べて妹は、素直で可愛くて、本当に良い子です。私のことも「お姉ちゃん」として慕ってくれます。両親の子供は、きっと彼女一人であるべきでした。

家族に愛されているなあと感じるたび、自分にそんな資格はないことを思い出して吐き気がします。
お腹を痛めて産んでくれた母には申し訳ありませんが、もし私が生まれていなければ、私にかけられたお金も愛情も時間も、妹のものになっていたはずです。その方がずっと良かった。

こっそり自殺を図ったこともありますが頓挫しました。
でも自殺は迷惑をかけてしまうので、せめて私にできる、ちょっとでも誇れる終わり方が良いです。今は、家族に迷惑をかけないで、何か別のものになりたいと思っています。空気とか、ありがたい何かとか……。即身仏になりたいと思って調べてみましたが、現在の日本では不可能とわかりました。

私は家族が大好きです。家族のうちの誰かが死ねば、残りを殺して私も後を追うつもりです。
勿論そんなことは許されません。自分でもおかしいと分かっていますが、それしか、いつか訪れる別れを防ぐ方法が思いつきません。

こんな危険思想しか持てない、私の様な、本当に価値のない人間でも、現代社会では生き永らえてしまうようです。

どうすれば良いでしょうか。どこで、どう終わればいいでしょうか。
意味不明な質問で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。

2022年3月1日 17:18

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本能の様なものがそうさせているのは、慈悲・思いやりです。

タラ 様 相談ありがとうございます。

まず、「しょっちゅう体調を崩して熱を出します。」が気になります。一度、身体の検査をお薦めします。体調不良がそのような思考を生み出している可能性がありますので。
そのうえで、「人間の本能の様なものがそうさせている」のは、愛とか優しさ思いやりです。義務感ではありませんね。なぜなら、人間は他の動物から襲われないために集団で生活することを学んだのです。その時に必要となったのが、親愛・思いやり・繋がり、なのです。なので義務感であなたを愛しているのではなく、家族として本能的に愛するようにできているのです。本来は。
なので、愛される資格はあなたにあるのです。もちろん妹さんにもあります。
というより、愛されるものなのです。宇宙の中で家族となるのは、多くの縁が働いて家族となっている貴重な存在です。ですので、あなたはとても大切な貴重な存在なのです。
妹さんのものにならなかった、あなたの受けた愛情や時間その他のものをあなたは、心の底から享受していいのです。その享受したものを今度は、誰かに振り向けていけばいいのです。
多くの人や物に感謝しませんか。
あなたの命は、絶妙な力が働いあて、今あるのです。
他人に勇気や貢献をしませんか。受けた愛情や思いやり優しさを。
計算ができ速読ができる、個性を活かして、あなたらしさを発揮しませんか
あなたのような悩みを持つ人が、他人に勇気を与えるとしたら、それがまた素晴らしいことになるでしょう。私はそう思います。

何度でも、気持ち・感情をご相談ください。そのたびに、勇気が持てるキーワードを得ることができるでしょう。
一礼

追伸:ここでは、文字数が限られていますので、多くを語れませんので、いただいたお礼メッセージの中から1点お伝えします。「父と母は愛し合っていたのに、その愛に割り込むように・・・」というところですが、赤ちゃんは、愛いっぱいで生まれてくるのです。両親が愛し合っていたら、その愛をさらに深めて育むために生まれてくるのです。それで愛が愛情になるのです。食いつぶされたとか、わがままだからとかそんな思いは、本当はないのです。あなたは愛を育むために生まれてきたのです。もちろんあなた自身の愛も。私はそう思います。まだまだあなたとのやり取りが必要と思います。ぜひメールでもご連絡ください。あなたは輝ける存在だと思います。

2022年3月2日 10:06
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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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あなたのお気持ちをお聞かせ下さいね

拝読させて頂きました。
あなたはご自分が生きる価値を見出せずにとてもお悩みなさっているのですね。あなたは家族や周りの方々に迷惑をかけていると感じておられて、自分は何の役にも立たない、自分はいない方がいいのだ、自分は愛される様な存在ではないと思っておられるのですね。
詳細なあなたのお気持ちはわからないですが、あなたがその様に思われて悩み苦しんでいることは伝わってきます。あなたのお気持ち心よりお察しします。

今まであなたはいろんなことを皆さんと生きてきて経験なさる中で、自分のことをその様なものだと思ってしまってきたのかと思います。それにはいろんな出来事もあったでしょうし、いろんなわけがあったのではないかと想像します。

宜しければあなたがそう思うようになったことをゆっくりとお聞かせ頂けませんでしょうか?今まであなたがどの様に育てられていらしたのか、ご家族の方々との関係はどうだったのか、学校や友人の方々や先生とはどうだったでしょうか、宜しければ可能な範囲で教えて下さい。或いはオンラインでもお話なさって頂けますでしょうか?

あなたは決して独りではありません、あなたには沢山の方々とのつながりもありでしょう、そしてここでもあなたは既に私達ともつながりをご縁を結んでいらっしゃるのです。

今まであなたが必死に抱えていらしたこと、或いはご自分の中で苦しんでいらしたこと、自分の存在を認められないことを、或いは許せないと思っていることをゆっくりと教えて下さい。
ここでご縁を結んでい頂いたのも様々な巡り合わせでしょう。あなたにとってこの場所のあなたの居場所でもあるのです。
どうかあなたのお気持ちをゆっくりと一つひとつ教えて下さいね。あなたを心よりお待ちしています。

そしてあなたは本当に大切な方です。もしもあなたがいらっしゃらなければご家族の誰もいらっしゃらないと思います。あなたがいて下さるからこそ皆さんがいらっしゃるのです、ご両親様が妹さんがいらっしゃるのです。

2022年3月2日 13:58
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

釋孝修様、Kousyo Kuuyo Azuma様、丁寧にお答え下さりありがとうございました。
お礼が遅れてしまい申し訳ございません。いただいた言葉を何度も読み返しては泣いてしまい、お返事の文章が思いつきませんでした。

釋孝修様
ありがとうございます。とても心が楽になりました。
目から鱗のような、道がひらけたような、突然目が覚めたような、大切なことを思い出したような、不思議な感覚です。
自分が受けてきた愛情や思いやりなどの温かいものを、他の人に分けてあげる、と言う考え方を支えにして行きたいと思います。
もしかしたら、厚かましくて浅ましいことだとは思うのですが、私は誰かに、貴女は生きていて良い、愛されて良いよと許してもらいたかったのかも知れません。ありがとうございます。

私は普段、頭の中では冷静でいても、身体が勝手に癇癪を起こしたり、泣いたりします。物心ついた時から自分の感情を遠くで見ている感覚が拭えず、他の人はそうではないと知って以降、これでは不良品だなと思うことがしばしばあります。

父と母は愛し合っていたのに、その愛に割り込むように、私のような不良品が生まれたせいで、母は「私の母親」にさせられて、その人生を私に食い潰されてしまったのだとしたら、それほど恐ろしいことは無いと思います。
私の我儘に付き合わされる父も、私を姉に持ってしまった妹にもずっと負い目を感じています。私の家族でなければ、私と出会わずに済んだからです。

いつか、可愛くて賢くて要領が良くて身体も意思も強い「本物」の私が現れて、口先ばかりの私を殺して、或いは追い出してくれるのではないかと考えていた時もありました。しかし日に日に母と顔が似てくる自分に気付いて明確な血の繋がりを感じては、私こそが本物で、「本物」なんか来てくれないと思い知らされて、死にたくなりました。
私が「本物」を乗っ取って殺してしまったんじゃないかとも思いました。私が死んだら「本物」が目を覚ますのではないかと考えて、自殺の実行に至りました。そのときは頓挫しました。今現在まで、家族の誰も、私が自殺未遂をしたことを知りません。

私には何もありませんが、受け取り切れないほどの愛を貰っていることだけは事実です。その愛を家族に返すことを目標に生きているので、家族が欠けたりおかしくなった時は私の死に時だと思っています。

でも、釋孝修様が仰ったように、別の誰かに愛や勇気を分けてあげられるのはとても素敵なことだとも思うのです。そんなこと、私に出来るはずもないのですが、受けた愛や優しさを他人に貢献する、と言う考え方は、一つの支柱として大切に取っておこうと思います。

それについて強烈な記憶があります。数年前の夏のことです。
塾に行く途中の道で人集りができていて、その真ん中でお婆さんがぐったりしていらっしゃいました。既に誰かが救急に連絡されていたそうで、看病なさっている方もいました。
私はその日偶然、キンキンに冷えた水のペットボトルを持参していて、未開封だったので、お婆さんの看病をなさっていた方に手渡しました。
私がボトルを手渡すと、とても丁寧な感謝の言葉を述べられて、泣いてしまいました。私はすっかり驚いてしまって足早に人混みを抜けました。遠目に見たその人は、また再び看病に戻っておられました。

釋孝修様のお言葉を読んだとき、何故かその人のことを突然思い出しました。
偶然居合わせただけの赤の他人の危機に、必死で看病をして、他人の為に涙を流せて、他人のために感謝を述べられる人です。何で心の綺麗な方だろうと思いました。きっとそう言う人は素敵なアンテナをお持ちで、世の中のあちこちから拾い集めた愛や思いやりを周囲に還元なさるのでしょう。
この人のように、というわけではありませんが、私も偶然居合わせただけの人のために心と時間を割けるような、豊かな人でありたいと思いました。ありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma様
親身になってくださりありがとうございます。

家族は勿論、先生も友人も、素敵な人ばかりです。人間関係において、自分は非常に恵まれているなあと思います。
私が死んだら、きっとその死を悲しんでくれるでしょう。それがわかっているのに、私はやっぱりいない方がいいんじゃないか、死んでしまった方がいいのではないかと思ってしまい、しかしそれではみんな悲しんでしまうのでは、いやでも尚更死んでしまった方が……とぐるぐる回ってしまいます。
私だけが、個性も長所もないのです。個性や長所になってくれそうな特技は沢山あったのに、惰性で成長していくうちに萎んでしまいました。

客観的に見て、私と関わって気分を損ねることは間違いないのに、周囲の人は私を受け入れてくれます。幸運なことであるはずなのに、なぜそんな態度をとってくれるのかわからず、足が竦んでしまいます。
見返りも理由もない優しさは怖いです。天秤の反対側に置けるものが何もないので、そんな上手い話があるか、と警戒しますし、私には何も返せないので申し訳なくなります。

私がこんな中身になってしまったのは、私の経験や周囲の影響などではなく、私がただ勝手に色々考えて自滅しているに過ぎません。
私はとても恵まれています。平和な国に生まれて、温かな家庭で育ち、素敵な人に囲まれています。でもそれには理由がない。私の行いに対するリターンではなく、宝くじのような、私がラッキーで手に入れた環境です。それが怖い。
私にとって得ばかりの縁で、相手にとっては悪縁ではないかと怯えてしまいます。

面倒な人間に、温かな言葉をかけてくださってありがとうございます。授かった縁を大切にしたいと思います。

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