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依存や自立とはなにか

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有り難し有り難し 9

こんにちは。
今回ご相談させていただきます、20歳のaiと申します。
お忙しい中、大変失礼致します。

最近、調べものをしていると「依存」というワードに目がいきます。

「今好きなこと」「幸せを感じるもの」が、愛を注いだり感じたりする対象ではなくて、ただの「執着」であり、「利用している」だけなのではないかと思うと、不安になります。

「最低限これがあるから大丈夫」
「でも、それがなければどうなる?」

こうやって、何か特定のものに安心を得ることでさえ、「依存」なのでしょうか。

それなら、周りからありとあらゆるものが無くなった「不安定な自己」のもとに、意味を見出すことが、自立するということなのでしょうか?

自立するとは、依存する先がいくつもある状態だともよく耳にします。

お坊さまは、依存とは、自立とは、どんなことだとお考えになりますか?

また例えば、お坊さまにとって、「仏教だけが頼りだ」「もう仏教しかない」という方がいらっしゃるとして、どう対応されますか?

お忙しい中、大変恐縮ですが、ご教授くださいますと幸いです。

2022年3月10日 11:44

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自立とは安定していること

“依存”と言う言葉の意味合いは難しいものがありますね。
意味合いの難しい言葉を他の言葉と掛け合わせると、もっと意味がとりにくくなってしまいます。

なので、“自立”という言葉単体で考えてみましょう。
『自ずから立つ』と書きますが、赤ん坊のように自分で立ってもすぐに倒れてしまう状態を“自立”とは言えない気がします。
ですから、私は“自立”とは『自ら立ち、そして自ら立ち続けることができる』ことだと考えます。
これを他のわかりやすい言葉で表すと、“安定”と言えるかと思います。

つまり、
『経済的自立』とは『自分の経済状態の安定』
『精神的自立』とは『自分の精神状態の安定』
と言い換えることができようかと思います。

あなたがおっしゃったように、『依存先が複数ある』状態だと依存先が消えても安定しているように見えるかもしれません。
しかし本当に大切なのは、『どれだけ安定感のあるものに依存できるか』なのではないでしょうか?
くぎを糠に10本打ち込むより、硬い板に一本打ち込む方が安定するように、依存先が安定していればいいのです。

アイドルやSNSに依存する人々が不安定になりやすいのはそのためです。
変化が早く、流行が移り変わり、依存する自分も加齢や成長からくる精神の変化により不安定となりやすくなります。

なので、安定した依存先、依存法が必要になりますね。
その有力な依存先として、仏教のように『世界の真理』ともいえる壮大なものを説く教えは、非常に安定していますので向いているでしょう。
そして、ファンのように“好き”ではなく、“信じて生きる覚悟”のような大きな心をもって仏教に向き合うことによって、より安定し、自立しやすくなるわけです。

なので、「仏教しかない」という人には向き合い方を注視して、ともに仏教を学ぶというのが最も良いと私は思いますよ。

2022年3月10日 12:11
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日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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質問者からのお礼

啓誠様、ありがとうございます!
アイドルやファンの例え話が、まさに今の心境とリンクしていたので、とても分かりやすかったです。

依存=不安なものと考えていましたが、啓誠様が仰られたように、自立=安定していることであり、安定した依存先という見方があることに、初めて気づきました。
また、仏教の真理は、世の流行やトレンドのような移り変わりの激しいものではなく、古くから続く、「安定した世界」であることに気づけました。

新しい物の見方を教えてくださり、また仏教についての在り方をご教授くださり、ありがとうございました!

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