アルコール依存症、オーバードーズ
これまで、お坊さん方に、大変失礼な、相談や質問とも呼べないような支離滅裂な文章を送りつけてきてしまいました。そのことについて、謝罪させていただきたい、と存じます。
現在、嫌酒剤を服用しながらも、つい、いわゆるヤケクソのようになり、堕ちるところまで堕ちてしまえと、脳の指令に従うままアルコールと睡眠薬、安定剤で安易な快楽に溺れる日々が、月に1週間ほど続きます。その時以外では筋力トレーニングや、在家でも参禅のできる道場に通ってはいるのですけれども、その後疲れ果ててお酒などに逃げてしまいます。
「こんだけやったんだから、ま、いいでしょ」と。家族、親族からは、病気なんだから仕方ないよ、そんなに自分を責めることないよ、毎日お風呂に入るとか、ちゃんと朝起きて抗鬱薬飲んで、できれば雨戸開けて部屋の掃除したりとかさ、一つずつでいいんだって と言ってはくれてるんですけど…
とりとめのない長文で申し訳ございません。
家族構成:母、私 既往歴:うつ病、社会不安障害、パニック障害、性同一性障害、アルコール依存症
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
反発や抵抗の「抗」の心理作用に目を向けて負の本質を見極める。
(*'▽')どうもこんにちは。「何が禅者だ思い込みのドツボでとっくに脳味噌とろけてるアレな人」と思われておりました凡下ドツボ漬け丸でございます。笑
私が答えちゃったらまたイラっときちゃうかもしれませんね。その時におこる心理的な反応や反発の「抗」のはたらきに目を向けておさめてみましょう。集中的にみるのです。あなたの悩みの原因はそこの一点。
そもそも心の安全運転にならないはたらきとはなにか。
それが「抗い、あらがい、反発、抵抗」の「抗」なのだと知ってほしいと思うのであります。
お金かけて薬を飲むのもいいですが、一番の原因である心の運転の処し方を治さにゃぁ。😸
心のアクセル、ブレーキ、いやいや、もっと手前?奥の方?を見つめてみましょう。
それは私自身の「なに」が?一体、自分の中で抗のはたらきとして現われるのか?そこを集中的にみるといいです。
するとね、冷静に物事を観ている時というのは害がない。抗いもない。問題がない。「抗」が無いから。その通りに見ている。そのまんまに見ているでしょ。その何でもなぁい様子の時は「抗」がないはずではないでしょうか?
「抵抗・抗い・反発」の心理作用というものは、わが身を守らんとするときに生じるわけです。合わないもの、心理的なアレルギー反応が生ずるとき「反発=抗」が⚡ぐっ⚡と起こるわけです。
あなたが見つめてみるべきポイント、長年苦しんできたポイント、真犯人はそこなんじゃないでしょうか?
お酒飲み過ぎれば体だって「抗」の反応が出るから分かるはずでしょう。
胃があれる、だるい、疲れる…
だったら、鐘の音が鳴る法則に学ぶのです。
鐘を撞く棒を撞木シュモクっていうんですけど、あなたの身心を鐘か撞木に喩えるなら鐘だって強く打ち過ぎれば「抗あらがい」の様子が起こる。ヒビ割れたり、耳障りになる、鳥も逃げるほどに。
鐘の響きとはあなたの身心の作用の事。そこを上手に響かせればいいのですよ。
上手な鳴らし方=上手な距離感、上手な運転、上手なかたらい、上手なアクション、上手なふれあい、上手な思考、上手な接触。
エアコンだって程よい風であれば心地よいはずですが、強ければノドを痛める、体も冷える「抗」が生ずるでしょう。
だから、私は一体どんな時、いつ、どこで、誰と、なにとで、抗いの心理が起きてるのか?ということを良く見つめて、そこを基準に安全運転を心がけましょう。
質問者からのお礼
このような私に、優しく、お応え頂き誠に感謝いたします。