人を信じるということ
こんにちは。
突然ですが、「人を信じる」という事は大変難しいことですが恋愛において大切なことだと感じています。
私はいつも恋愛をする時、「他の女性もいるのではないか」「結婚してくれないのではないか」とネガティブになります。これは相手を信じていない、つまり自分に自信がなく自分自身を信じられてないと思うのです。
結婚したいと伝えられていたにも関わらず、一向に相手からはプロポーズされず。もやもやした日々を送っていて不安に負けて、他の男性と食事くらいと思い出掛けたことを報告しなかったがのがバレてしまい、彼にフラれてしまいました。別れた直後は、このような運命だったんだと切り替えて別の男性とお付き合いするも違和感があり破局しました。
現在また元彼と連絡を取り、復縁を話し合っている最中ですが、彼は浮気疑惑の事、私は結婚のことが引っかかっていて中々前に進めません。
これも、「人を信じる」ということに繋がってくるのではないかと思います。
こんな困難を乗り越えてでも好きな人と頑張って乗り越えるのが良いかと思うのですが、なかなかうまく行きません。
どのような心持ちで彼と接することが良いでしょうか。また、諦めた方が良いなどもご教示いただけると幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人を信じるのは危険です
復縁なさるかもしれない元彼との関係は、正直?があります。その男性とは波長が合わなかったので別れてしまわれたようにお見受けします。復縁なさって結婚というゴールにたどり着きたいのでしたら、よほどよく話し合われ、お互いの感情に齟齬をきたさないようにしていただきたいです。もしかしたら過去のことがよい教訓となり、今度はよい関係が築けるかもしれません。その場合にも基本的に波長が合わなくて破局を迎えた過去があるんだということを頭の片隅に置いておかれたら、と思います。
ところで、人が信用できるか、ということについては、正直、信用できないのではないかと思います。私はhasunohaのなかでは、私たち夫婦の仲人夫妻のことを例に出しています。この夫婦は最初から最後まで嘘をつき通しについてきました。彼らが私に近づいてきたのは、縁談を仲介することで利得を得るため、つまりカネのためです。それ以外には関心がないので付き合おうとしません。カネになるところだけ関わりたいのですから、いつもは嘘ばかりついて遠ざけるわけです。
それでも、いいカッコはしたいので、ボランティア活動に熱心です。「人を信じて生きてほしい」というようなきれいごとはいいます。なのに嘘ばかりつくのですから、困ったものです。そんな夫妻に対して家内は冷めた目で見ていましたが、仲人のオバサンの方が、家内と同じ滋賀県立八幡高校卒なのに、それを知られたくないので嘘をついて誤魔化していたのがバレてから家内の冷めた態度も変わってしまいました。
「人を信じて生きてほしい」というお寺のオバサンが嘘とカネをよこせしか口から出さないんです。男女関係にも浮気だの不倫だのは茶飯事です。基本的に人は信じてはいけないものだと思います。
ただ、稀にですが、信用できる人は確かにおいでになります。一生の伴侶を見つけようとなさっているのでしたら、時間と労力を惜しまず、そんな素敵な方を見つけてください。かならずあなたが望んでおられるような男性はいらっしゃいます。その男性が復縁なさろうとしている元彼だったらよいですね。
質問者から返信をいただいて加筆
私の回答の最後のところ、かならず信じるに足る、伴侶とするに足る男性はおいでになるのだ、という箇所を読み落とさないでくださいね。
質問者からのお礼
藤岡様
この度はご回答をいただきましてありがとうございました。
人を信じるべきでない、とのお言葉
そうですね、慎重になって人生を歩みたいと思います。
ありがとうございました。