小さな幸せ見つけ、楽しめるようになりたい
小さな幸せをみつけて、純粋にその幸せを楽しめるようにはどのような心持ちでいればよいのでしょうか。
私はどうも、生きる「原動力」がなければ生きていくことが難しい性分のようです。例えば、「将来こんなことがしたい」「生きるからには大きな目的、野望をもって生きたい」「死の恐怖にいかに立ち向かうか」「善く生きるとは何か」のような小難しいことを考えずにはいられません。そうした夢や希望、野望は私の二十余年の短い未熟な今までの人生の中で、死なずに生きる活力・燃料になっていました。しかし徐々に将来が見え始めるにつれ、不安が増大し周期的に夢や希望を超えて、不安に押しつぶされることが増えてきました。不安がなく将来が安定していて、なおかつ自分の夢や希望が叶うなんて都合の良いことはあるはずがないとは知っていてもです。
このことについて、友達に「なんのために生きるのか」「何が生きる原動力になっているのか」と聞いてみました。すると生きる理由は「考えていない」、原動力は「おいしいものを食べる」「ゲームをする」「旅行に行く」などという回答がほとんどでした。その考え方は私はとてもよいと思います。クヨクヨと悩んでいる私よりも遥かによいです。
私もおいしいものを食べたときは幸せに感じるし、友達と遊んでいるときはとても楽しいです。しかし過ぎてから、あるいは最中であっても、「今の一瞬はこんなに楽しくても時の流れは止まらず、私の抱えてる悩み(将来や生きる意味や死について)は解決しないし、刻一刻と迫っている」ように感じてしまいます。
それと同様に「人のために生きる」、そしてそれに満足できる生き方がしたいです。人に親切にする、誰かに何かをすることは純粋に気分がいいです。しかし人生一度きり、戻ることはできないということを考えると「人のために生きるのもいいけど、それはできる範囲にして、究極的には悔いのないよう自分のために生きたい」という思いがあります。
私の性格故に、そうした人生を通じた難しい問いを考えることは放棄することはできないにしても、せめて小さな幸せを感じて純粋に享受したいです。また、「人のために生きる」ことができるようになりたいです。それができればもう一つの「私が生きる理由・原動力」になってくれるのではないかと考えています。
ぜひご回答いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ありがたしですよね
拝読させて頂きました。
あなたが真剣にご自分の人生にお向き合いなさりどの様に人生を歩んでいきたいのかお考えなさっておられることを読ませて頂きました。あなたのそのお考えや志はとても素晴らしいと思います。どうかこれからの人生でも様々な思いや志を持って生き抜いて頂きたいと心から願いますし、あなたのことを心より応援してますね。
一つ申し上げたいと思いますが、あまり気負い過ぎずに素直なお気持ちで自分にも様々なものごとにも人々にもお向き合いなさって頂きたいと感じました。
あなたがおっしゃる幸せはあなたにいつも寄り添っているのです。
あなたは日々日の光が降り注ぎ清らかな空気や水が恵まれています。日々かけがえのない生命があなたに与えられて大切な方々がいつもあなたを愛して慈しんで下さっています。当たり前のことでしょうけれどもそれはとても有り難いことです。それを受け入れていくことができる自分がいて自ずと身体は原動力を与えられて活動し続けて下さっているのです。
ですから既に様々なエネルギーを注がれています。
それをどう使っていくのか、何を目標として希望として生きていくのかはあなた自身のお心次第ですからね。
何気ない当たり前のことを感じて有り難く受け取っていけることが小さな幸せや喜びや楽しみになっていくと私は思います。
いかがでしょうか?あなた自身でゆっくりと見つめ直してみて下さいね。
あなたがこれからの未来を沢山の方々やものごとに恵まれながらお健やかに心豊かに幸せに生き抜いていかれます様に心より祈っています。
質問者からのお礼
お返事頂きましてありがとうございます。
たしかに最近はあれこれと考えすぎて当たり前のことに有難さを感じられていなかったような気がします。
今日はとても天気がよかったので外に出ました。ここ最近は余裕がなくて桜は見る暇もなく散ってしまったのですが、木々がとても緑々として輝いていました。暖かい春の日差しも鮮やかな木々も何か私にエネルギーを与えてくれているような気持になりました。
何か気づいていなかったものに気づけた気がします、本当にありがとうございます。