看取り時の声がけ
母との最後の日は本来コロナで面会禁止でしたが、個室だった事もあり、一日一緒にいれて、最後を看取る事が出来ました。
そこは良かったのですが、、
亡くなり際に、私は母に「死なないで」とか「一人にしないで」とか「頑張って」とか、言ってしまいました。
もう十分頑張ってくれたのに、、
感謝の言葉や、また会おうね的な前向きな事を言うべきだったと後悔しています。
私が後ろ髪を引っぱるような、未練がましい事を言ったから、母が成仏出来ないで彷徨っているのでは?ととても心配です。
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お母様はきっとうれしい気持ちで最期を迎えたと思いますよ
こんにちは。お悔やみを申し上げます。
私がお坊さんとしてご遺族と接するようになってから20年くらい経ちますが、ご遺族からお話しを聞かせて頂くと、亡くなり際に看取る事が出来たという方はかなりの少数派です。ほとんどの方ができていません。ですので看取ることができただけでもとても有り難く良かった事だと思いますよ。
さて、亡くなり際に故人に未練が残るかもしれないようなお言葉をかけてしまったと後悔しているのですね。私の率直な感想としては、お母様は「自分は惜しまれて亡くなることになった」と認識したと思います。やはり親としては我が子から惜しまれて死にたいものだと思いますからね。感謝しているからこそあなたの口から出てきたその素直な言葉は、お母様の心に感謝の気持ちとして届いたと思います、きっとうれしい気持ちで最期を迎えたと思いますよ。ですのでご安心ください。
お葬式は故人をお釈迦さまのお弟子にする儀式です。お葬式をしたのですからお釈迦さまのお弟子さまとして生まれかわった(成仏した)と信じ、ご心配せずにお過ごしになると良いと思いますよ。
可能性の話
浄土宗では古来、臨終行儀という看取りのやり方がありました。
亡くなろうとしている人と仏像の手とを五色のひもで繋いだり、善知識(善友)と呼ばれるサポート役の人が患者の息に合わせて念仏し、ご本人の念仏を応援したり。
その臨終行儀では、家族が取り乱して騒いだりするのは禁止、家族は別室に控える方が良いとされます。
それは、ご本人の心を乱したりこの世への未練を誘う恐れがあるから。
ですから、可能性としては、ご家族が取り乱すことによりお母様の心を乱したかもしれないと、考えられます。
しかし、過ぎたことは仕方ありません。
あなたは、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、阿弥陀様の光明がお母様を極楽浄土へ導いてくれますように、願いましょう。
また、あなた自身もいつか極楽浄土に往生し、お母様と再会できるかもしれません。
煩悩まみれの私達は、心が乱れるのは仕方ありません。
そんな私達を見捨てない仏様が阿弥陀様です。
心が乱れても乱れたままで南無阿弥陀仏を称(とな)えれば大丈夫です。
合掌
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
質問者からのお礼
やはりそうですか、、
失敗しました、、
返信ありがとう御座いました、、
光禪様
有り難いご返信感謝申し上げます(涙、涙)🙏🙏
ホッとして、ドッと泣けてきました、、
母が安心&ハッピーになるよう、私も残りの人生を大切に頑張りたいと思えました!!
本当にありがとう御座いましたm(_ _)m
つぶやきの方のコメントもありがとうございます^^
季節の変わり目、光禪様もどうぞご自愛くださいませ。