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人生の選択を迷っています。

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有り難し有り難し 4

文章に綴るのは苦手ですので、読みづらい所があるかと思いますが、よろしくお願い致します。

私は今年2年目になる会社に正社員として勤めているのですが、ストレスが溜まる一方で将来自分がこうなりたい、という考えが全く持てなくなってしまっています。

また、付き合って5年目、同棲して3年目のお互いの両親も公認の同い年で社会人4年目の婚約者がいます。
その婚約者と来年の7月には籍を入れようと決めています。

そのこともあって、私は出来るならパートかアルバイトで働きつつ、家事もこなしていきたいと考えています。
でも、私には奨学金の返済もしなくてはいけないので、婚約者は「奨学金返済が済むか、せめて3年は頑張ろう。」というばかりです。

全くその通りだと思うのですが…私は今のままの生活を続けていくのは辛いです。
休日も仕事の事が頭から離れず、最近は友人と遊びや食事に行っても心から楽しむ事が出来ず、話も少し上の空で聞いてしまいます。

この状態を少しでも改善するには、どうしたら良いでしょうか?
どのような気持ちの持ち方をしたら楽になれるのでしょうか?

長文になってしまい申し訳ございません。
ご回答の程よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ストレスのない職場を探しましょう

こんなお話があります。
子を亡くした女がお釈迦さまから生き返りの方法を教えてもらいます。「一度も死人を出したことがない家から芥子の粒を貰ってきなさい」
女は名をキサゴータミーといいました。
女は家々を訪ね歩き....。
この女はやがて本当の幸せを手に入れました。
仕事のことが頭から離れなくストレスに感じるならストレスのない職を探してみては如何でしょうか。
きっとあなたも見つけることができますよ。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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