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両想いなのに

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有り難し有り難し 6

私には心から愛する人がいます。
遠距離です。
年に数回会いにも来てくれます。
しかし彼には 彼女がいます。
となると、この気持ちはしまった方がいいだろうと思ったのですが、どうしても相手を思ってしまいます。

美味しいものを食べたら、その人にも食べさせてあげたい。
綺麗なものをみたら、その人にも見せてあげたい。
或は、一緒に見たい。
そう思ってしまいます。

相手は彼女と私とでなんとなく迷っている感じがします。
きっと長い時間一緒に過ごしてきた彼女なのだと思います。
彼を支えてくれる人なんだと思います。
彼も悩んでいるのか、私に毎日連絡をしてくれます。なかなか会えないので写真なども携帯を通して送ってくれます。
とても嬉しくて、とても切ないです。

彼を本当に思うなら、この思いはやはりしまったほうがいいのでしょうか。
私の体調を誰よりも心配してくれて
支えになってくれて、
私ににとっても、凄く大切な人となりました。
彼にとっても私は心の拠り所と言ってくれて、本当の気持ちを綴った手紙のやり取りなども何度かしました。
彼女は彼女で大切で私の事も特別と言ってくれるので、きっとどちらも大切で選ぶとかではないのだと思います。
きっと、彼女と私は全く違うものなのだ
ろうと思います。

ですがやはり、彼は私にとってとても大切な存在でもあります。
相手を思うと色々な葛藤もあります。
やはり、この恋は、諦めた方がいいのでしょうか。

この強い思いをどうやってしまったらいいのか全くわからないのです。
どうかこんな私に、アドバイスを頂けないでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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迷ったときは

自分に厳しい道を選ぶ
その道に間違いはありません。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ご回答して頂き、ありがとうございます。今の私には本当に厳しい道ですが、これからも何事自分に厳しくしたいと思います。ありがとうございました。

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