自分の中の赤信号
気づけばまたここに来てしまいました...
こんにちは。以前からあったことなのですが、7月の初めくらいから、朝になるとなぜか分からないけれど、心が苦しくなったり寂しくなったりします。ずっとモヤモヤしているような感じで、いつもならなんで辛いのか理由が見つかるはずなのにずっと見つけることが出来ないままでいます。
たまに一日中続く日もあって辛いです。
楽しい瞬間に辛さを感じなくても、それが終わると一瞬にしてまた辛くなるの繰り返しです...
そんなことが過去にあった最中、4月のひいおばあちゃんの命日の日に人生で初めて相談相手ができ、何かある度に相談をしていました。その方からアドバイスをいただいたとき、今まで感じたことのない影響というか、不思議な感じで「自分はここで変わるんだ。」って思ったり、話をするだけで安心感もありました。その方から聞く言葉全てが私にとって、とても大きい物に感じます。
独りになったとき、自分だけで生きていくことができるようになるために「依存だけはしないようにしなきゃ」と思いながらも、辛いとすぐに頭に相談相手のことがよぎってしまいます。
でもここ2ヶ月ほど、自分で解決が少しづつ出来るようになってきた感じで、いい感じに自分の波に乗っていたと思っていた反面、今回のようなことがあり、正直辛くてたまりません。
このままじゃ正直取り返しのつかないことになってしまいそうで危機感が出てきました...
自分って怖いなって思いました。
「これはさすがに1人で抱え込んじゃだめかもしれない」と思い、少しずつ距離を置いていた相談相手の方に相談しようとしたのですが、予定が合わず、まだ先になってしまいそうです。それまでもつか心配で...
その方には感謝の気持ちでいっぱいで、彼が幸せなら私も幸せになれるし、笑顔を見ると私も笑顔になることができ、今まで一緒にいたけれど、全然関わりがなく、まさか数年後にこのような関係になると思っていませんでした。
正直、少し鬱になりかけているのは気づいています。この先、またチャンスがあれば、このことを伝えようと思いますが、それまでどうやって自分を維持していけばいいのでしょうか??
なぜか分からない苦しみと寂しさが怖いです...
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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吐き出して、あとは掴もうとしないこと
苦しさの原因は、意識が思いに向いていることです。
思うということは、思えたという働きがあるだけであり、その内容は間違えのない事実ではないのです。
例えばパンケーキを食べた時、甘いと感じる人、甘すぎると感じる人、甘くないと感じる人、美味しいと感じる人、美味しくないと感じる人、色々いるわけです。
それは事実ではないです。パンケーキを食べたらパンケーキの味がするということが事実であります。思いに気持ちが向くと、その美味しいとかまずいとか感じたことを相手にこねくり回すからくるしくなるのです。その時、その味がした、そして喉元過ぎたらそれで味は残らない。それが救いなのです。
自分というものの真相を見極めてください。決して自我のようなものを握ってはいけません。
迷いの世界に一直線ですよ。
質問者からのお礼
はじめまして。
素敵なお言葉をありがとうございます😊
気持ちや意識って時には人の心を揺さぶるくらいの力がある分、自分のこととなると思い込んでしまって辛くなったり、悲しくなったりしてしまいますよね。
本来の自分を見失わないように、「辛いことがあった」「これは悲しかった」って思うことに対して深堀し、より意識をその思いに向けるのではなく、「悲しかった。でも大丈夫」「辛い。相談してスッキリさせよう」など解決への出口を見据えて少し軽く思うようにします。
今日から相談相手の方が一時いなくなります。
お守りがなくなったみたいに辛いですが、なんとか乗り越えて、逆にいない時をポジティブに考えて自分というものを改めて再認識したいです。自分と向き合えるチャンスだと思っていきます😊
パンケーキの話、とても心に染みました。
本当にありがとうございました😊