生理中のご真言をあげる事と心持ちについて
私は復縁活動を3年以上しています。
ペアリングを買い直すほど持ち直したり、かなり仲良くなっても、いざ暮らすとなると突然彼が掌をある日突然返し、復縁開始直後ほどの辛辣で険悪な状態に戻ります
これはもう彼の心もあるし、私は神仏様に色んな意味で頼ろうとおもい、何柱かの神仏様の画像をその神様に見立てて早朝とお昼すぎか、早朝にご真言を上げさせて頂いております
ただ、月の物は毎月来ますので、月の物の間の1週間前後、この間に自室で携帯画像を見ながらご真言を上げることは粗相に当たりますでしょうか?
辛い時も、嬉しい時もご真言を上げながら画像の神様にお話したりして支えになっております
その期間に実際に神社仏閣にお参り等はしたりはしません
また、ご真言を上げている時の心持ちも教えて頂きたいです
出来る限り感謝の気持ちで上げさせて頂いておりますがそれが出来ない日もあります
そんな時は何も考えず上げることは悪くありませんか??
本当に悩んでるので教えて頂けたら幸いです
プロフィールの通りです…。 彼の態度に困り果てて、お縋りしたいとご真言を上げさせていただいております 真言を唱える時、どの様な心持ちで唱えたら良いのでしょうか? よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教の神仏ならば年中大丈夫
日本には昔からケガレ思想があり、日本のカミの信仰では、死や血にまつわるものを嫌う傾向があります。
保健衛生の知識や技術が乏しかった昔、人々は経験的に、死体や血を遠ざけた方が病気になりにくいと思っていたのかもしれませんね。
だから月のものを気にしたりしたのでしょう。
一方、インドから伝わってきた仏教にはケガレ思想がありませんので、仏教の神仏については、一年中昼夜問わずいつ拝んでも大丈夫です。
真言を唱えているとき、心の中に様々な妄想雑念が浮かんでくるかもしれません。
しかし、妄想雑念にとらわれず受け流し、妄想雑念から真言に意識を帰すようにしてはどうでしょうか。
心は無常です。
欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩に起因する悩み苦しみや妄想雑念が、意識のスクリーン上に、瞬間ごとに浮かんでは消えていきます。
しかし、色とりどりの映画が終われば、スクリーンは真っ白な布に戻る。
同じように、どんな悩み苦しみも必ず過ぎ去ると気づいて安心してください。
そして、瞬間ごとに新しい自分に生ま変わっている、だから「今・ここ」の現実、真言を唱えている現在の、新しい静かな時間を味わえれば、今の人生は合格人生だと思いましょう。
雲は月を一時的に隠せても、月を壊せません。
妄想雑念の雲が真言の月を一時的に邪魔できても、真言(神仏)の光は必ず再びあなたを照らしてくださいます。
だから、欲・怒り・怠け・プライドの闇夜を恐れないで明るく生きましょう。
追記
何も考えないで真言を唱えることがあっても、悪くは無いと思います。
それも自然な心の動きの一つでしょうね。
質問者からのお礼
早いコメントと、本当に温かい言葉選びに頭が下がります、有難うございます
私がご真言を上げさせていただいている神様は起源はインドの方が多い気もしますが、月の物だからと遠慮せず、祈願も含めて毎日ちゃんと拝み真言を上げさせていただきたいと改めて思いました
そして、唱える時、雑念や怒りや理不尽な気持ち…色んな気持ちがあっても出来る限り真言を唱え心を何も考えないようにして唱えるで大丈夫、と言う解釈で間違いはないでしょうか??
ある日は感謝して、感謝の気持ちで唱えるのですが、ずっと有難うと思い続けられない時があるのです
なんと言うか、お姿を見ながらご真言は上げているのですが、何にも考えてないというか…
有難いとか嫌な気持ちとかほんとに何も無いそんな状態でただ、お姿を見て真言を唱えてる時間があるので、それは失礼ではないか?と不安に思っています
もし、お時間とご都合が許されるなら教えて頂けたら幸いです
本当に感謝しております、有難うございます
追記を有難うございます
出来る限り感謝を持って祈ろうと思いますが、無心になることもだんだん増えてきます
けれどもそれが悪いことでは無いこと、ほっとしました、有難うございます!!