最低な私でも解脱出来ますか?
私は、罪深い人間です。
私は、人一倍欲望が強いです。
その上、頭も悪く、顔も悪く、器も小さく、喧嘩っ早く(知らない人に喧嘩売った経験あり)、ネガティブな思考で他人の不幸を喜んだり、嘘を付いたりする様な人間です。
小中学生の頃はクラスで浮いた存在になりたくなくて、優しそうな人を見つけてはその人を虐めてました。
他にもありますが今回は省きます。
こんな人間でも浄土に行く、或いは解脱は出来ますか?
地獄に堕ちる覚悟は出来てます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本願ぼこり
はい、最終的にはどなたでも浄土へ行かれます。それは悪人正機と呼ばれる考え。「自分は悪人だ」と自覚している人こそ、先にお救いしましょう、という考えです。
しかし同時に「善人の家は喧嘩が絶えない」とも言います。「俺が正しいんだ、いや私だ」と、各々の正義を振り回すばかりでは喧嘩になりますよ、それより「私は至らぬ者で、いや私だって」という家の方が喧嘩は起きない、という訳です。
つまり、あなたが実際に悪いことをしているか、というのにもまして「俺が正義だ」と言うか否かが問題なのです。この点はどうでしょうか?
タイトルの「本願ぼこり」と言うのは、「何をしたって仏様は救ってくれる。だからこの世では思い切り悪いことしてやれ」という考えで、それは実のところ…どうなると思いますか?
生きている間、自分がどんどん悪いことをしていく訳ですから、悪い結果が出てくるのは当然(因果応報)。そんなことを重ねて、それでも仏様を信じきれるでしょうか。
悪事をどんどん重ね、それでものうのうとしている自分。それを自覚して、なお「仏さん、さあ俺を救ってくれ」と本気で言えるでしょうか。そこに仏様が出てこなくても、文句言えないのではありませんか?
ですからね、悪事は「止まられるならやめておきなさいよ」というのが私からの答えです。
よく「子どもを叱って効果があるのは、子どもが叱ってほしいと思っている時だけ」といいます。あなたが、「あ、今悪をやろうとしてる」時に自分の声が「やめとけ」と言っているのが聞こえたら、やめてあげては?それは自傷行為を思いとどまるのに似ていると私は思います。
質問者からのお礼
そうですね。
最終的に救われるにしろ、そこに甘えて悪事をする、しないを決めるのではなくて、はじめから、悪を止められるのなら自制するのが正解と言う訳ですね。
回答ありがとうございました。
悪人の私に有難いお言葉を下さりありがとうございました。