真言を唱えたいのですが
1.私は、不安に弱い人間なのですが
自分を勇気づける為に不動明王様の真言を
心の中か口で唱えてみたいと思いました
不安は自分自身の心の問題なので
別にご利益が無くてもいいのですが
(正直、あったら嬉しいです)
僧籍ではない、お経すら覚えていない
私が唱えても失礼にはなりませんでしょうか?
罰が当たったら怖いなと思ってしまいます。
2.仮に問題がないといたしまして
暗記せずに、調べた真言を見ながら唱えるような形でも失礼にはあたりませんでしょうか?
そして印は組んだほうが良いのでしょうか?
組まないほうが良いのでしょうか?
3.不動明王様の真言を唱えるとして
(仮の話に仮を重ねてすいません)
自宅の仏壇には十一面観音様を祀っているのですが
やはり身近の観音様の真言も唱えた方がよろしいのですよね?
そもそも観音様の真言は唱えてもよろしいのでしょうか?
4.いずれ愛染明王様の真言も唱えたい
近所のお寺さんが愛染明王様を祀ってて
自分自身も幼い頃や今でもお参りをしたり
除夜の鐘を叩いていたりしたので
可能であれば唱えたいと思うのですが
よろしいのでしょうか?
ちなみに何故、不動明王様の真言を唱えたいかと申しますと
昔から、家族がお世話になってる、お参りしてるお寺さんが
不動明王様を祀られているのと酉年の守護なのとカッコイイからと思ったからです。
拙い文章に加え、仮の話に仮を重ねてで
申し訳ありませんが
お答えいただけると幸いです。
ありとあらゆることへの不安
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は弱いことを知ってはじめて強くなっていくのです。必ず。
拝読させていただきました。
「法門は八万四千にあり」と仏教で申しまして、仏の教えを学ぶことはどの入り口でもいいのです。すべての機縁の中より仏教は受け入れる器があります。
そうでありますことから、この度のご質問であります不動明王のご真言を是非とも口で唱え、心に念じてください。
唱えるときは願いを念じて唱えることです。
ご利益があればいいとありました。信心を持って唱え続けていくことです。ご利益とは一般的には、金銭などを目的とする人が多いものです。仏教では、安心を得れることがご利益です。
今やくもさんが抱えている不安や悩み事がなく、一日一日おだやかに過ごせればどうでしょう?それは何よりのご利益となることと感じます。おだやかに過ごせることは金銭も仕事や人間関係などもおだやかということにつながります。
仏教の真髄の教理は「空」の教えです。
それは「心にかたよらない、こだわらない、とらわれない」ことに集約されます。
お時間があれば、すべての物心に存在・現象するものに「かたよりがないか?こだわりがないか?とらわれがないか?」をピックアップし、それを少しずつ「取り除けるように」と念じながら真言を唱えていくことです。
真言は不思議なものです。現代は科学の進化によって物質に豊かな時代となり、科学に頼ることで安心を一時的なことは満たせたり防げたりすることもしばしばです。しかし、至るところは心に人は戻ります。何かを手にしたいというのは外に求め得るものでなく、自身の心を堅固させる中道をもつことです。
ご自宅にご本尊「十一面観音」がおありでしたら、まず十一面観音から真言を唱えたのちに不動明王の真言を唱えるようにしましょう。
効果があらわれないからといって自身を疑ってはなりません。疑ったときこそ仏さんに試されている信心と感じてください。
良い人生には年齢など関係ありません。
「今から変わってやる!」そんな思いを常に持ち続けていく心が、心を強くさせ、屈しない自身を形成させていきます。
ダイエットでもお金を払ったからとて、即効性がないように、すべての物ごとには真言も含め、継続していく気持ちが肝要となります。
ご参考までに。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます!!!
やっぱり身近の観音様からですよね!!
穏やかな日を望めるように念じてみようと思います!
穏やかな日を望むで無くとも、先ずはしっかりしたになれるよう、心を後押しして頂けるようお願いしてみます!
そして、そこから楽しいと思える日を自分で生み出して行きたいと思います!!
本当に本当にありがとうございました!!