今すぐ安らかに死にたい
以前から「死にたい」と考えていましたが、年々その頻度が多くなっています。以前は「死にたい」と思っても「でも数カ月後はいいことがあるかも、1年後は変わっているだろう」と気持ちを切り替えていましたが、年を重ねるごとに「どうせこのままなんだ」と未来に期待することができなくなってきています。
今まで告白されたことがありません。
私から告白しても全て振られました。
両親のことは好きではありません。
女友達はいますが、年々一緒にいると辛くなり、今は最低限の付き合いしかしていません。
女友達といると「この子は彼氏がいる、旦那さんがいる、今はフリーでも過去に付き合っていた人がいる」と思うと、「愛してくれる人がいるなんて羨ましい。私は時々会うくらいには丁度いいけれど、彼女にしたい結婚したいと思ってもらえるほどではないんだろうな」と負の感情が出てきてしまうからです。
男友達とは食事や遊びに行くこともありますが(身体の関係はありません)、どんどん彼女ができたり結婚したりで会いづらくなってしまいました。
会いづらいことも寂しいですが、「一緒にいて楽しそうだったのに、私を選んでくれなかったな」という寂しさもあります。
仕事は頑張っています。認められているし、求められています。私の居場所になっています。でも、それは頑張っているからであり、ちょっと無理している私を愛してくださっているので結構疲れます。
友達として愛されている感覚、仕事仲間として愛されている感覚はありますが、「彼女として、奥さんとして」「永遠を見据えて」愛される経験がないことが悲しいです。
自分がそうした領域に入れない、欠陥品のように感じます。
やりたいこともなく(仕事も本当はやりたくない)、愛されることもなく、ただ仕事を頑張る人として生きていくことが辛いです。
だれかに自然体の私を愛してもらいたいです。「ありのままでいい」「そのままでいいよ」という言葉を耳にしますが、友達止まりになってしまうのは、このままの私だと受け入れてもらえないからだと思います。
でも自分を変えようと頑張ることももう疲れました。早く永遠の眠りにつきたいです。痛いのも怖いのも苦しいのも嫌なので、自殺未遂は起こしたことありません。なのでなんとか生きてます。安らかに死にたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからの出会いの中で
拝読させて頂きました。
あなたが人に永遠に愛されたい、そのままの自分を受け止めてもらえる人と巡り会いたいと願っておられることを読ませて頂きました。今あなたにはその様な人がおられないことをあなたはとても悲観なさっておられて、いっそのこと死にたいと思っておられるのですね。詳細なあなたの状況や環境やお気持ちはわかりませんが、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
今あなたにとっては周りの人達とも比較してしまい自分だけが取り残されてしまっている様に感じているのかもしれませんよね。或いは自分だけ幸せになることができないのではないのかと思っておられるのかもしれませんよね。
あなたが本当にその様なかけがえのない人と巡り会いご縁を深めていきたいと思うならば、あなたの可能な範囲で色々な方々っの出会いを求めていきましょう。
仕事や今の友人関係でも色々な方々とご縁を深めていったり、サークル活動やボランティア活動や地域活動にも気軽に参加なさってみてはいかがでしょう。最初はなかなか気が乗らないこともあるかもしれないですけれども、人と人との出会いはひょんな所から降って湧いた様に現れてくるものです。私達の想像を遥かに超えて様々な方々とのご縁は実はあるものですからね。
又宜しければ寺社コンやお寺の行事やイベントにも参加なさってみてはいかがでしょうか?
あまり期待していなかったことでも意外な所で様々な出会いや経験を通して素晴らしいご縁はあるものです。
あなたはこれからも様々な方々やものごととの出会いやつながりを通して成長なさっていくのです。
あなたがこれからの未来素晴らしいご縁に恵まれて大切な方とご縁を深め合いながら、お互いを尊敬し尊重し合い心から幸せに生きていかれます様にと切に祈ってます。そしてあなたを心より応援してます。
お返事ありがとうございます。
あせらないでとかあわてないでとかお伝えしてもあなたの心には届かないかもしれません。とはいえど様々な巡り合わせやご縁はあると思います。私達の想像を超えた不思議なご縁はあると思います。あなたにとって本当に素晴らしいご縁がありますように切に祈ってます。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。こんなにも丁寧に優しく受け止めていただいたことが無かったので、非常に嬉しく、涙が出ました。
「あなたが人に永遠に愛されたい、そのままの自分を受け止めてもらえる人と巡り会いたいと願っておられることを読ませて頂きました。」
おっしゃる通りです。子どものころからそのような存在を求めてきました。今、急にそのような存在が現れたら、私はきっと安らかに死にたいなんて言わないだろうと思います。
しかし、「この人だったら自分を愛してくれるだろうか」と何度も期待し、「友達の距離感が心地いい存在」止まりで、それ以上の関係になれないことに気づいたり、言葉にされることで、彼女や奥さんという存在に自分はなれないんだと諦めつつあります。もう30代後半で、若さを売りにできる歳ではありません。
社内には男性も女性も50人ずつほどいます。優しい人ばかりです。家族のように過ごし、早15年ほど経ちます。しかし、「家族のように」と言っていても、それぞれ社内恋愛も多くあり、社員同士で結婚していくカップルをたくさん見送ってきました。皆、優しい人たちだからこそ、仕事仲間として私を受け入れてくれているだけで、どんなに仕事を頑張っても恋愛対象にはならないのは人柄に欠陥があるんだろうと、突き付けられている気がします。
Kousyo Kuuyo Azumaさんがおっしゃるようにイベントなどに参加するのはもう疲れてしまいました。ただ、Kousyo Kuuyo Azumaさんのコメントから伝わる優しさからお寺のイベントには少し興味が湧きました。「~しなきゃいけない」というのは私にはかなりのストレスで、しきたりや文化の色が強そうなことは苦しいのですが、あまりそういうのとは関係の無さそうなものがあれば参加してみたいと思います。
温かいコメントをありがとうございました。また苦しくなったら書き込みさせていただきます。