女で生まれた事が悔しい
私は女で生まれたことを悔やまなかった事はありません。
親戚の集まりでは男兄弟はこたつで談笑しているのに私だけ台所に立たされ、学校帰りにはストーカー被害に遭い、電車ではガラガラなのに男性に隣に座られる。繁華街で道に迷い立ち止まればナンパにしつこく絡まれる。
母と祖父母には自衛隊への入隊すら許してもらえませんでした。
「女」として押し付けられた役割でモヤモヤしたことは山程あります。
この悔しさを一層増すことになったのは私の婚約者の存在でした。
彼のことはとても愛しています。
でも、彼と親密になればなるほど私が喉から手が出るほど欲しがっても手に入らないものを彼が持っていることが悔しくて辛いです。
彼と同じ回数筋トレをしても彼のように屈強にはなれないし、将来子供を欲しいと思ったときは私が産むしかない。力では絶対に勝てないから支配されるしかない。
出産なんて、私のキャリアは?私の人生は?なんで私だけこれほど大きなリスクを負わなければならないの?
彼はストーカー被害に遭ったこともなければガラガラの電車で隣に誰かに座られた経験もナンパで困った経験も無いそうです。
ああ、羨ましい。
男も男で大変だと言う人もいるけど、男だからと不当に差別されることは少ないし、性犯罪の被害に遇うことも女より少ないのは羨ましいです。
50、60になっても子供を持てるのも羨ましいし、なにより痛い思いをしなくても愛する我が子に会えることが羨ましい。
毎月苦しい生理痛に耐えるのも2時間おきに血を見るのももう辛いです。
女であることが惨めじゃなく思えるようになりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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バッタのオスよりカマキリのメス
プライドの煩悩(自分への執着)により、自分を他人と比較してしまうことは誰にでもありますが、それは悩み苦しみの原因になります。
また、自分の理想へのこだわりを邪魔するものに腹が立つことも理解できます。
不当な差別や悪しき慣習は正すべきですし、少しずつマシにはなっているかも知れません。
ただ、あなた個人のストレス軽減のためには他者と比較しない方が良いです。
少し、比較対象を広げてみましょう。
たとえば、猿のオスのボス猿は、女ではないしストーカーにも遭いません。
では、あなたはオス猿になりたいでしょうか?
おそらく、そんなことはないでしょう。
つまりあなたは、自分よりも恵まれている人とばかり比較しているのであり、その何億倍も存在するその他大勢の動植物たちを無視しているのです。
視野を地球レベルに広げて見ると、結局、男女の差以上に個体差が大きい。
バッタのオスよりもカマキリのメスの方が強いでしょう。
自衛官になっている女性もいる。
平均的な男性よりも体力がある女性は無数にいる。
ということで、プライドの煩悩(自分の価値に執着して他人と比較する)はストレスの原因になると理解した上で、時々自分の思考回路を点検し、煩悩に飲み込まれていないか客観的に(地球レベルの視点)で見てみましょう。
1匹1匹の生物それぞれ事情が違い、性別以上に大きな違いがある。今の自分は意外と恵まれていると喜びましょう。
ただし、それはあなた個人のストレス軽減のためのテクニックであり、性差別等を放置すべきという意味ではありません。
それぞれの生き物がそれぞれの場所で幸せになれたら良いですね。