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こんな生き方をしてていいのか。

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有り難し有り難し 3

私は先日、地方で勤めていた会社を辞めて、上京転職をしました。今20代後半です。大学在学中から趣味の関係、近年では自分が同性愛者だと気付き出会いの場を求めたことからの転職です。

以前住んでいた地方は地元とも離れた場所で友達もおらず会社と家の往復、土日もただ一人で家で過ごすだけで孤独でした。上京してからは毎週友達と遊んだり、体の関係がある同性の友人も複数いてプライベートは充実しました。相手からの好意も感じられ、いつか誰かと一緒になれたらなとも思います。

しかし、前の職場のことや地元の家族のことが頭から離れず本当にこんな生き方でいいのかと毎日自己嫌悪に陥ってしまいます。転職前も自己嫌悪はありました。失敗するのではないか、結局上京しても孤独になるのではないか、仕事をうまくやっていけるのかなど。

自ら行動しなければ何も変わらないし幸せは掴めないと思って一念発起しましたがやはり前の仕事の方が安定性があること、ありがたいことに人間関係がよかったことから自分の幸せを考えなければ孤独だったとしても老後までずっと安泰だったのになとか、仲のいい人たちが多かった職場を裏切ってまで何をしているのかとか(もちろん円満退職ですが)、同性愛者のため結婚や孫を見せることができず親への申し訳なさや、実家で飼っている大好きな猫が死ぬまでに会える回数を数えては毎日毎日不安や恐怖に押し潰されそうになります。

また、親元を離れているし金銭的援助なども受けていないのにも関わらず親離れをしなければという強い思いが残り続けています。

どうしたら自分の行動したことを許せるのでしょうか。友達も体の関係も前の職場のことも家族や猫のことも何もかも切り離せず強欲だなとおもっています。

2023年2月6日 7:35

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの大切な未来ですから

拝読させて頂きました。
あなたがご自分で選択なさり歩み始めた生き方についてとても不安に思ってしまったり、これで良かったのだろうかととても迷っておられるのですね。詳細な経緯や状況はわからないですけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
あなたはおそらく今まで人生を歩んでいらして自分の人生をこれでいいのだろうかと迷い悩みそして色々検討なさっていらしてあなたにとって生きたいと思われる生き方をしっかりとあなた自身でご判断なさりご選択なさったのかと思います。
そのご選択はとても尊いことですし、あなたにとって価値ある選択だと私は思います。
今あなたはかけがえのない沢山の素晴らしいご縁に恵まれて毎日をとても充実なさって生きておられることでしょう、そしてこれからもあなたの未来は様々な出会いの中で生まれ広がっていくでしょう。おそらくあなたが想像なさっていなかった以上の素晴らしい出会いがあるでしょうし、あなたに様々な感情を呼び起こし大切な時間を生きることできるでしょうからね。
確かに迷いや不安や後悔なさることもあるでしょうし、人との交流の中で辛い思いもなさることもあるかとは思います。それら一つ一つのことがらもあなたにとってはかけがえのない出来事でしょうし、あなた自身の経験ですからね。
社会や世界は今大きく変化しております。多くの方々が様々な生き方や多様性を認め合いながら理解し合い分かち合いながら生きていく未来が広がっているのです。どうか自分の生き方や価値観に自信持って下さいね。
あなたがこれからの未来も素晴らしい出会いに恵まれながら沢山の方々と分かち合い心から豊かにお互いを思いやりながら皆様と一緒に心から幸せに潤いに満ちた人生を歩んでいかれます様にと切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。また気がついたことあれば気軽にご相談なさって下さいね。あなたを心よりお待ちしてますね。

2023年2月6日 11:38
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
ご回答くださり本当にありがとうございます。
自分の選択を受け入れることができ、心が救われるようです。本当にありがとうございました。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

人生後半戦の生き方

久々にご相談させていただきます。42歳になり、遅ればせながら授かった子供を育てつつ復職し、日々ドタバタながら楽しく過ごしています。 産前はなんとなく、仕事はある程度やり切ったな〜という気持ちもあったのですが、不思議と今は、社会人として人としてもっと成長したいという意欲でいっぱいです。人生後半戦ということで、生きる心構えについてお聞きしたいです。 先輩から、何歳までにこうなってやる!と目標を立てて、逆算して行動する大切さを幾度も説かれてきました。ただ自分は、これまで公私共に大きな目標はなく、常に、その時その時、自分がしたい事、成し遂げたいことにまっしぐらに進んできた、という人生です。その結果今があり、不思議とあまり後悔はしていません。 人生後半戦も、このようなスタンスで生きていいものでしょうか。それとも、これからはある程度大きな目標を持って進んだほうがよいのでしょうか。 これまで運やご縁、もしかしたら若さと勢いでなんとかしてきたので、難易度が上がる今後も自分の生き方がこれでいいのか、それとも着地点めがけて頑張った方がいいのか悩んでいます。 ご教授いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 23
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『今』を生きる事に集中したい

幼い頃から負の情報にとても影響を受けやすいです。 家族間や学校、職場での出来事はもちろん、特にメディアでの情報やニュースにはとても敏感です。 東日本大地震で被災してからは更に過敏になったように思います。 戦争や災害、陰謀論、気候変動、ワクチン、政治問題など。 こればかりは自分の影響力の範囲外の事ですし、先のことは誰にも分からないので悩んでもしかたない事だと理解はしているのですが怖くて苦しくて潰れそうになります。 そういった情報が目に入らないように使用機器の設定をしたり、テレビをつけずに過ごしたりと対策はしているのですが、たまたま目に入ってしまった時に呼吸が苦しくなってしまうのです。 恥ずかしい話ですが、北朝鮮のミサイル発射の速報を見て小学校や中学校だけでなく仕事を休んでしまったり、公共交通機関に乗れなくなったこともありました。 共感疲労というのでしょうか。 いつか家族が、愛する息子が、自分が、と次々に想像してしまい止められません。 そして実際に家族を失ったような喪失感に襲われます。 夢に出てくることもあり、正直それが一番辛いです。 残虐な殺され方を目の当たりにして現実で起きたような衝撃と感情で目が覚め、気持ちがリセット出来なくなります。 毎日何かに怯え、家事育児中もずっと頭の中が不安しかないのです。 常々『死』を連想してしまいます。 立て続けに身内を3人、急性の癌で亡くしているのでそれも関係しているのかもしれませんが。 こんな世の中に息子を産んでしまった事を後悔してしまいます。 この世は生きるに値しない気がします。 でも生きていくしかありません。 どうしたら今を生きられるようになるでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 ご返答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 11
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専業主婦に憧れます

こんにちは。 以前新婚時に相談したものです。 新婚時は夫どの関係に自信が持てず悩んでいましたが、昨年第一子を出産してからは全く気にならなくなり、それどころか家族との日々を過ごせることをとても幸せに感じています。 今回ご相談したいことは、私の仕事のことです。 私は公務員で役所勤務しています。育休や子育て支援制度も充実しており、今は週3日勤務で子供を保育園に預けながら働いています。 平日休みの日は子供は保育園に行くので、私の時間ももらえ、とても恵まれているのはわかっているのですが、子供が熱を出したときなど急な休みをもらわないといけないときなど、仕事をやめてしまいたくなります。 急に仕事に穴を開ける罪悪感、子育てがあるため仕事に全力を注ぐことができない罪悪感、仕事のことを気にしながら子どもと向き合っているもどかしさ… 私は両立が苦手のようです。 どちらにも100%の力を注げないもどかしさもありますが、何より子供を育て、家族のことを一番に考えながら平和な家で家事育児をして過ごす日々が幸せすぎます。 なので、いっそ仕事をやめてしまって家事育児に専念し、余った時間で今流行りの在宅でできるお小遣い稼ぎでもしたらいいんじゃないかとか思ってしまいます。 でも、やっぱり今の仕事は本当に恵まれているのも承知しており、そこまで高給取りではありませんが、長い目で見れば金銭的にも大きな差が出てきて、将来の子供の学費などの資金にも影響が出てくると思います。夫はやめるのは私の保障がなくなる意味でもったいないといいますし、私の親は辞めたとしても、専業主婦になっても辛いこと嫌なことはあるから変わらないといいます。 今の私はどのように気持ちの整理をつければいいでしょうか。

有り難し有り難し 22
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敢えてバランスを崩す

人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。 例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。 また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。 意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。 何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが) 仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。

有り難し有り難し 6
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今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ