hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

戦火とは、生命の灯火なのか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 5

ここ2〜3年ほど悩み続けてる事なのですが、倫理とか道徳とかといったものは、結局生活が安定した者によるエゴでしかないのではないか、という仮説が頭の中で離れません。
我々は、教育過程で戦争行為に対する嫌悪を嫌というほど刷り込まれます。それ自体は社会が自滅しない為に必要な事として納得しています。
しかし、その事を基軸として戦争行為に走った国や戦地に赴く人々を安直に批判する事に私は納得しきれない部分があります。

というのも、大半の人は戦争をやりたくてやっている訳ではないと思うからです。
情報を得る手段や暇がないので断定はしかねますが、今起きている戦争も二度の世界大戦のように経済的、国際的に追い詰められた者たちが最後の生存手段として選んだものだと思うのです。もし他に生き残る為の選択肢があれば、迷わず武器を捨てて、そっちのやり方で営みを続けるものだと思います。どうしても戦争をやりたい少数の者同士による小競り合いは起こるかもしれませんが、いずれ自滅して鎮火するでしょう。
これは自然界においても同じ事が言えます。動物が脅威に対応する時、まずはそもそも脅威から逃げる事、隠れる事、棲み分ける事を選択します。戦う事は追い詰められた時の最後の手段です。

であれば、対岸の火事を鬱陶しいと思っているだけの自分が戦争なんてやめろと文句を言った所で、何の説得力も持たないと思います。切迫した状況に置かれた彼らにとって、闘争は唯一の命綱です。戦争をやめろという説得は、彼らにとって「飢えて死ね」「1人で死ね」と無責任に言い放つ事にならないでしょうか?
本来救わなければならない筈の者たちを、自分たちの都合で一方的に切り捨てていいのか私は心配です。

ここまで素人の憶測を一方的に吐き出してきたのですが、今対岸で起こっている大火事に対しては、自分より遥かに賢い方々が全力で対応に回ってるものだと思っています。私ができる事はただ一刻も早い鎮火を願い、自国で火が上がらないように営みを続ける事だけです。

ただ、戦争というのが異常行為ではなく、人間、ひいては生命の営みの延長線上で起こりうるものであるとしたら、そして、その上で本気で戦火をこの世から消し去ろうとするならば、我々がやるべきは生命の灯火を断つことになりませんか?

正直なところ、私は自分のろうそくの火加減を見るのも精一杯です。

2023年2月19日 18:30

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

見聞きして身をもって学びましょう

拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるような考え方もあるかと思います。生きる為の方法や手段として争いや戦争はあるのかもしれません、歴史的にみて今まで戦争がなかった時代はありません。生きることの傍らにいつも戦が行われてきたのが人間の歴史です。

とはいえ本当にそれが私達にとって善いことなのでしょうか。

もうちょっとじっくりと今までの歴史や生きてきた人々や亡くなっていった人々のことをしっかりと知っていくことは大事なことだと思います。殺されたり飢え死にしたり殺さなければならなかった事実をしっかりと知ることが大切かと思います。

その様な戦争の歴史の記録があまた残されています、それらを身をもって見聞きなさりながら見つめ直していきましょう。

そして自分が生きることとは何なのか、どう受け止めていくことが大切なのかを自ら学んでいって下さいね。

あなたを心より応援させて頂きます。

2023年2月19日 19:21
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。
今世界で燻っている戦火の大きさに比べれば、自分の思索はささいなものでしかないですが、それでも隙間風となって火を少しでも小さくできれば幸いだと思っています。

欲を言えば、もう少し戦とか、葛藤という概念について仏教的知見からの見解を教えて頂きたかったのですが、今暫くは見聞を広げる事に従事しようと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ