どうしていくら努力しても苦しいのか
他人と比べるなとはよく言いますが、人より努力が足りなかったことはないと思います。
かつて自分が慢心していたことに気づいて、それを改める努力をしたり、足りない部分は補うように努めてきました。
それでも、世の中や友人だった人たちの中には
己の傲慢さを知ることもなく、改善する気もなくむしろ私や優しい友人をいじめたり加害してその場から去るまで痛めつける人が何人もいて、私は毎度そういう人と巡り合ってしまいます。
生まれた家庭は、父が事実婚のお嫁さんがおり、その人は家族を捨て離婚してきた人
私の母は、その事実婚で同居していた2人の仲を引き裂いて私を産み、いわゆる不倫の末のデキ婚というものです。
幼い頃ずっと、(他人には信じてもらえないので話しませんが)大人の女性の声で「お前のせいだ、お前さえいなければ」という怨念がましい声が聞こえていました。
19歳の頃、父から私の生まれとその女性(もともと父の彼女さんだった人)の話を聞いてからぴたりとその声はなくなりました。
明らかに両親は良くないことをしていると思います。このような場合、私は生まれながらに業を背負っているのでしょうか?
どんなに努力しても報われず、女性から酷いいじめを受けたり、味方してくれる男性が出てくるとその人を別な女性に取られることがあまりにも多いです。
もう頑張る気力が尽きてしまいました。
具体的には、いじめ、パワハラ、親からの理不尽な過干渉と管理、再びいじめ、等です。
最近では、インターネットで助けを求めてもなぜか辛く当たられることも増えました。
医療職や専門家の人にも八つ当たりをされます。もう限界です。
どうしたら、頑張りが報われますか。それとも、まだ何か足りないのですか。できるだけ傷つきたくないです。休みたい。そして安心して生きたいだけです。多くは望んでいません。
世の中の人は自然ともっと強欲に見えます。私はその半分も求めていないです。それでも世間の人は幸せそうです。
ようやく生きていきたい、自分の人生だからよくしたいとまた思えるようになったのに、苦しさで潰れそうです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問ありがとうございます。
お釈迦様は言いました。
生きるとは努力すること。
努力していない側はすでに死んでいるに等しい。
あなたはこれまで努力してきました。
そして今も努力しています。
それはまさしく生きているということ。
あなたが何か努力している瞬間は、生きている瞬間、輝いている瞬間でもあります。
報いなどなくともその瞬間そのものが価値ある瞬間であり美しい瞬間であり素晴らしい瞬間なのです。
ですから、努力できる自分を誇らしく思ってください。
でもたまには誰かに優しさをもらいたいかもしれません。
世の中には悪い人がたくさんいます。でも良い人もいます。
また人の心は悪い心と良い心が同居しているものです。
ですから人間関係を諦めたり恐れたりせずに勇気を出して話しかけてくださいね。
あなたが人に優しく接すれば人もあなたに優しく接してくれますからね。(もちろん性格の悪い人や、タイミングが悪い時は対応が冷たい時もありますけどね)
質問者からのお礼
ありがとうございました。