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流産した後の考え方について

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以前はじめての妊娠で胞状奇胎になり、1年間妊活をお休みして、先月体外受精で妊娠しました。しかし昨日心拍確認の際心拍が見えず流産だろうという事でした。

流産と聞いて昨日はショックで泣いてしまいましたが今日は落ち着いていて、赤ちゃんがお腹にいたと言う実感がありません。

みんな、来てくれた赤ちゃんに感謝してまた戻ってきてもらえるようにお祈りしようと言ってくれます。

ですが、私は心拍も胎芽も見えなかった赤ちゃんの事を赤ちゃんと思えず、赤ちゃんになれなかった卵、細胞としか思えないのです、、、。

こんな考え方しかできないなんて冷たい人間なのでしょうか。

またお腹に戻ってきてほしいと思う気持ちは強いのですがそもそもまだ来てなかったではないか、赤ちゃんになる前に流れてしまったではないかと思ってしまいます。

こんな風に思ってしまう事はいけない事でしょうか。こんな考えでは今後子どもは授かれないでしょうか。

よろしくお願いいたします。

2023年3月18日 14:32

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫ですよ

ご相談拝読しました。これまでの妊活やこの度の流産と、心を痛めていることとお察しします。お見舞い申し上げます。

私たちはやはり姿形というものに大きく影響を受ける傾向がありますから、赤ちゃんではなく、卵や細胞としか思えないということに、それほどの違和感を私は覚えませんし、冷たいとも思いません。
しかし、いずれにしても「いのち」であることは否定できません。そこが大事なところではないでしょうか。

「また戻る」とは言っても「いのち」は唯一無二です。誰にも代えがきかないからこそ重たいものです。また授かってもそれは戻ったのではなく、新たないのちです。その事実を受け止めてこそ卵や細胞という「いのち」への感覚も変わってくるのではないでしょうか。

さて、子どもを授かるのは「考え方」によるものではないでしょう。
(もちろん考え方が体調に影響を与えて妊活にも影響が出るという可能性はなくはないかもしれませんが)

こう考えてはいけないとか、こう考えるべきという思考で、あなたの自然な感覚を押さえ付けるのはストレスにもなるかもしれません。

周りの言葉に流されず、あなたなりの感じ方でいのちに思いを馳せ、授かるご縁を待ちましょう。どうか心安らかに。

2023年3月20日 5:40
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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

だいぶ遅いお礼になってしまいました。
回答をみて救われ何度も読み返しました。
ありがとうございました。

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