亡き前妻
主人は前妻と死別し13年後、私と再婚しました。
付き合っている当初より前妻の話をよくする人でしたが、嫌だと思いながらも死別だから仕方ない。と話を聞いていました。
籍を入れてからも変わらず、何気ない会話の中に必ず、昔、カミさんがさぁ〜等 昔話をし、カミさんは世界一!と度々 聞かされて来ました。きちんと私を見て。と言った事もありますが変わりませんでした。
結婚して10年以上経ち、ここ何年かはカミさん。と言う事は無くなりました。
でもカミさんと言わないだけで話す思い出話は前妻との事に変わりはありません。
何度も聞かされているので分かります。
前妻を忘れたのではなく、私が嫌な顔をするのでカミさんと言わないだけなのです。
前妻との間に子供がおり、分身だの言いますが私には子供がなく、その言葉に傷付いてしまいました。
生前、同居していた義母も散々、可愛い子だった。と言い私の顔色が変わるのを見ては薄笑いを浮かべる人でした。
結婚してさほど経たず2人で幸せな新婚生活を満喫中に他界しているようなので良い思い出しか無いのだと思います。
私は初めから持病ある義母と子供との生活で浮かれた新婚生活どころか、お出かけする事すら無いに近い生活。主人に何処どこに行ってみたい。と言っても俺は行かない。俺は食べない。行って来れば?他県から嫁ぎ土地勘の無い私が行ける訳も時間も無く、それなのに昔行った世界一のカミさんとの思い出話を聞かされ私は お手伝いさん。としか思えません。
義母も他界し、時間が出来たせいか最近、何処か行く?と聞かれる事がありますが私の中に今更…と反抗心が芽生え、行かない。と言ってしまいます。息抜きしたかったのは今ではなく義母が居た時なんです。
主人の何気ない会話も本当は前妻としたかったね。前妻と行きたかったね。と思ってしまい私の中に前妻が染み付いてしまっている感じです。何故、一緒に居る?と聞かれたら、生活の為。としか言えません。
正直、27年も経つのに今だに法要をしている事も不満です。
死別の方と結婚した以上、仕方がないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あきらめるしかない
亡くなった人の法事は、33回忌くらいまでやる人は多いです。
また、日本では死者を恐れる文化もあります。
夫は、後妻を迎えたことの罪悪感があり、前妻に対して「やきもちを焼かないで許してくれよ。」と慰める必要性を感じている可能性もあります。
極端な話、前妻の祟りから後妻をを守るためと思って法事する人もいるかもしれません。
(仏教的には祟りなんて迷信ですが、日本には死者を恐れる文化もあるので。)
いずれにせよ、夫がそういう人間なのは今さら変えられないので、あきらめるしかないと思います。
叶わない期待はストレスにつながるので、期待しない方が楽になれます。
執着を手放す方がストレスが減りますよというが仏教的な考え方なので、冷たいようですが、そうお答えさせていただきます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
やはり、そうですよね…
一緒に居るなら諦めるしか無いですね。
私のこの感情も執着なんですね…