両親のこと
父親の足が悪くなり、介護の問題、遺産問題がいよいよ現実的な問題となってきました。
私は今は息子と2人で住んでいますが、相変わらず私の父は息子に会ってはくれません。母からは相変わらず暴言や愚痴を聞かされますが(私の問題ではない。)と心の中で唱えています。
1年ほど前に実家のマンションの下で父を待ち伏せをして「お父さん、息子です。」と声をかけましたが無視されました。息子が生まれてから、待ち伏せをして3度は会えました。怒鳴られたりもしなかったし良かったと思っています。
先日母から話があり、自分は父の介護などとてもできないと言われました。私は父に何かしてあげたことがあっただろうかと悩むことが時々ありますが(いつも母の味方をしていたので)、実家と関わることで不安定になることよりも、息子のことを考えたいと気持ちを固めました。
2年前に心療内科の先生から、両親の方から離れてくれたことに感謝して、息子のことと仕事のことを考えるようにと言われましたが、今回やっと『今までの私は母と一緒に不安定になり、母を助けなければと思い行動することで、母から責任を押し付けられ、「あんたのせいよ」と言われてさらに自分を責める、ということを幼い頃からずっと繰り返してきた』と気づいたからです。
遺産はおそらく、私の姉の息子2人と、愛人の方へ流れるだろうとも聞かされました。遺言をそのように残すようです。遺留分というのがあるからお金がほしいなら言いなさいと言われました。この件に関して私は全くの勉強不足ですし、実際まだ何か正式な話しがあるわけでもないですが関わることをやめようと思います。
今は息子の存在に救われていて、息子の母としての自分は、この世に居ることを許された存在だと感じて幸せを毎日噛み締めています。両親の子供として生きてきた40年のことを思い返して、よく耐えることができたなと思っています。結局は両親から精神的な自立ができなかった自分の力不足ですし、私はもう誰のことも恨みたくはありません。遺産含め両親の問題は私には関係のないこととして気持ちを固めました。
そうすると両親への感謝の気持ちが芽生えたんです。両親のせいにするのはやめよう、誰も悪くない、夢を叶えることができた自分に自信を持とうと思えるようになりました。
私は親を見捨てる酷い娘でしょうか。
そんな風にも見えるよねと不安になることもあります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「親子」に縛られずあなたの出来る優しさで付き合っていけばいい
「親子」に縛られることはないんじゃないですかね。もう、さんざん苦しんできたのだし、傷ついてきたのです。それでも、受け入れてもらいたい一心で、親と向き合ってこられた。年老いていけば、ますます、親に冷たくあってはいけないと自分を追い込んで苦しかったのではないですか。
今のこの距離感や、離れた環境にあって、親への気持ちも大切に出来ているのです。これから先、あなたの出来る優しさ(想うことや、顔を見せに行くことなど)で付き合っていけばいいのですよ。
世間の親子像が、正しいわけでもないのですからね。
質問者からのお礼
お礼が遅くなりまして、ご相談に乗ってくださったのに、申し訳ありません。ありがとうございます。
息子の顔を見せに、実家に行きましたところ、姉の息子が2人がプレゼントを受け取りに家に来ました。母から、私たちに隠れるようにと言いました。理由は、姉の息子2人が、私の息子の存在を聞かされていないために、2人が動揺するからだそうです。あまりにも酷く、立ち直ることに時間がかかりました。私は息子を守るため、実家を訪ねることも、関わることもやめることにしました。とても辛く苦しいです。いつかきっと、味方となってくれる人と出会えると信じて、息子と生きていきます。