自分のことに集中して生活したいです
自分の過去のことや他人のことを気にしすぎず、今の自分のことに集中して生活するにはどうしたらいいでしょうか。
頼まれてもいないのに人のことを自分のことのように心配してあれこれ世話を焼いたり心を乱したり、
自分が以前困ったことを改善したくなってあれこれ取り組んだりしすぎるのをやめたいです。
好きでやることなので、相手のいる要らないで一喜一憂することはあまりないのですが、自分のことを差し置いて心と時間と労力を割いてしまう傾向があり、
そうすると提供できることのクオリティは下がるしなにより疲れるし、そこまでのことは誰も望んでいません。
手を出してしまうことは、元々好きな分野なので調べ物や資料作成と、よその子どもの相手です。
子ども関係、ある当事者団体に所属しているのでその周辺、親きょうだい、夫婦間で情報屋さん状態になっています。
子育ての毎日で知的好奇心が余ってしまっている面があるのかなと自分の勉強の予定を詰め込んでみたりもしましたが、予算の都合と、それはそれでまたのめり込みかけて断念しました。
考えごとが止められず、いつもクタクタ。まずは今の自分を大事にということは言葉では理解していますが難しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今目の前のことだけでいる
今目の前のことだけでいる。
そんなの当たり前じゃんって話ですが、考え事の方にばかり気持ちが入っているのでそちらに行かず、目に映る事実、鼻から香る事実、耳から聞こえる事実、舌で味わう事実、肌で感じる事実、その事実のまんまでいることです。
人は認識が働くと自動的に思いが出てきます。カレーを食べたらカレーの味がする。舌とか意識しなくても、全身がカレーの味になる。しかし、それだけですまないのが迷える人。辛いだの甘いだの好きだの嫌いだのすぐに評価をし始める。昨日も食べたとか、もうしばらくはいらないだとか。
体はそんなこと言わないはずです。ただその時カレーの味がしている。それでいてそれ以上でも以下でもなく満たされている。
思いの世界を優先していると、いつも過去や未来、妄想ばかり。そちらに解決策はありません。考え方ではどうにもならない。だから禅宗のお坊さんは坐禅をします。
何にもしない修行。お金もかからない。徹底的に何にもしない修行です。
ベットの上でも椅子の上でもよいです。
一度座禅について学び、生活の中に取り入れてみるべきです。
私もそれで救われた1人です。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
想像にかたくないと思いますが、お礼を書こうとしてもあれこれ余計なことを書き始めてどうにもならず、今朝近所にある大きなお寺へ行ってきました。
坐禅をするお寺ではないのですが、森のような広い静かな境内で深呼吸をしていたら、少し体がほぐれ、たかぶっていた頭も少し冷めました。
家に帰って、自分が深呼吸すらできなくなっていたこと、何年もずっと泣きたかったんだということに気がつきました。
坐禅について学んでみよう思います。