自己紹介
初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。
先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。
著書いろいろあります。『功徳はなぜ回向できるの?』、『お布施ってなに?』、『悟りの四つのステージ』などなど。
Amazonなどで検索してみてください。
2019年度より広島大学客員教授
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回答した質問

生きたくないという気持ちも煩悩
まず、生きたくないという気持ちの正体を知りましょう。
煩悩といえば欲と怒りと無知の三種が有名ですが、、、
喉が渇いて仕方ないというような欲とも怒りとも区別がつきにくい本能のような意味で...

自分がされて嫌なことを他者にしない
「なぜ殺してはいけないの?」
という問いに対して、釈尊は、「あなたは殺されてもいいの?」と反問します。それで相手も、「ああ、意味が分かりました」と納得します。
現代の屁理屈社会では、おそら...

苦の対処法が修行
苦はただ苦だと感受するだけで、それだけでは修行とは言えません。
仏教では楽でさえも苦が少ないだけですべての現象は苦・空しいものと見ます。
楽しめの苦を受けたとき、苦しい苦を受けたとき、そ...

心の病気は自意識過剰から
心の病を仏教的に見るとすれば、原因は自意識過剰ではないかなと思います。
仏教用語では慢が強すぎるからではないかと見ます。
慢とは自分と他者を比べて己惚れたり落ち込んだりすることで、躁状態...

欲や怒りの多寡で
仏教では煩悩を三種類にまとめます。欲と怒りとそれらの親玉の無明(私)です。
煩悩の逆の善は、言動や心の行為に欲がないこと、怒りがないこと、私心がないことです。悟らないと完全には無理ですので、...

気にしなくなること
許すの感覚は、たぶん、気にしなくなる、気にならなくなる、忘れる、ことだと思います。
何か嫌なこと言われたりされたりすると、様々な種類の怒りが起きます。その怒りが割と早目に消える、忘れられる、...

ちょっとデータの混乱がありそうです
あなたがこのご質問のように考えた元データが何か分かりませんが、混乱があるように読めます。
三界から想受滅を経て解脱するのではなく、無色界禅定の上に想受滅があるのですが両者は解脱後の現法楽受・...

意識するのは我の仲間
まず、自分の状況を自分で把握しましょう、仏教的に。
我が煩悩の親分で、我があるから怒ったり欲が出たりするので、我を減らすほどうまく行く、我を張るほどうまく行かない、というのは分かります。
...

慈悲の瞑想
体のことは本人にしか分からないのですが、その様子が、周りの近しい人にはなんとなく伝わります。
そこで一緒に痛んだり苦しんだりしてしまうと、心の様子はどうしても外に出て周りに伝わるので、共倒...

弁護士を間に立てたのは正解
だと思います。だいぶ気力が弱っておられるようなので、ドライに、プロを間に立てて進めるべきだと思います。弁護士が、圧倒的に自分の見方かどうかだけ、一応気を付けたほうがいいです。間を取ってこのくらい...

仏教的な基準では
噓を言ったり誤魔化したりしてはいけない。一方、真実だからといって何でも言っていいわけではない。です。言う必要があるか、言わないといけないか、状況を見極めて、語るか語らないか、です。
この場合...

信仰も業だから善の信仰になるように
仏教を始めたお釈迦様が、あなたが考えたのと同じようなことを言っています。
すべての生命が自分の意志(意業)で言葉を発し(口業)、行動する(身業)。それは当然、自分に帰って業になり、次の自分の...

自分でなくても
誰かがそこで動いてくれないと困るので、誰かが雇われたのだ、たまたま私だったのだ、と、逆に考えてみてはいかがでしょうか。
「私」が必要とされるか、「私」が仕事をこなせているかどうか、ではなく、...

一度に一つずつ
生きることは単純作業の連続です。
仏教では特に厳密に、一瞬ごとに一つずつのことしかやっていないと言います。ながらであれもこれも同時にやっているように見えても、車の運転などで同時にいろいろ判断...

体の業が尽きるまで
釈尊が悟りを開かれた時、欲も怒りも無明(私という気持ち)も完全に消え、現象は何事もみな生滅変化の連続で無常で苦であり、現象でない法則(諸行無常など)を含めてすべての物事がみな無我であると解明し、...

無我が分からないこと
痴とも無知とか無明などとも言いますが、要するに、無我という真理に達していないこと、と初期仏教では言います。つまり、欲や怒りは起こらないことがあっても、癡は悟るまではなくならないということです。
...

親殺しはダメなので
父殺し、母殺しは業が重いので、他にどんな善業があっても来世はまず地獄に落ちて、その業が終わってから次が始まります。
殺さない代わりに、関わらない、しか方法がありません。生きている間はとにかく...

無我とは「我がない」の意味ではない
お釈迦様は「我がある」も「我がない」も間違いと、門前払いします。
あるとかないとか言う前に、我ってなにか、調べてください、と言います。我が何か分からないまま、あるだろう、いや、ないだろうなど...

過去世の貯金を取り崩すか増やすか
自分の労力のわりに自分がうまく行っていて「こんなに楽でいいのかな?」と思うほどなら、仏教では前世の功徳が今結果を出していますね、と見ます。
親を選ぶ生まれにかかる業は前世の功徳だけで決まりま...

しいて言えば他縁自果
因果では説明しきれないので因縁果ともいうし、縁だけで縁起とも言います。
結果は瞬間瞬間一つ生じてすぐ消えるのですが消えるとき次の因縁の一つになります。
因と縁は、釈尊はあまり厳密に分けて...