自己紹介
初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。
先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。
著書いろいろあります。『功徳はなぜ回向できるの?』、『お布施ってなに?』、『悟りの四つのステージ』などなど。
Amazonなどで検索してみてください。
2019年度より広島大学客員教授
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回答した質問

宗派の前に世間では、仏教では
各宗派の言い方は杓子定規だったり言葉足らずだったりします。
世間のことは世間の道徳・常識程度で考えて大丈夫です。
願いには、良い願いと悪い願いがありそうだと、何となく分かります。
...

スマナサーラ長老の
本やyoutubeに、悟った後の心の状態について語ったものも何種類かあります。
探して、ご覧になってください。その心がよく、推測できます。

出家すると体は牢獄に
入るような感じになります、心は自由に学び修行していいのですが。
出家を二種類に分けて考えましょう。
一つは、現代日本のどこかの宗派での出家。
もう一つは今も生きる釈尊以来の上座部(宗...

瞑想に二種類ありまして
仏教では止観などといって、瞑想を二種類に分けます。
止は、体や心を止めて何か一点に集中して、仏教でいえば、禅定に入って心の安らぎを得ます。仏教以前からのヨーガ瞑想はじつはこれで、禅定や超能力...

身受心法の四念処の意味ならば
釈尊が観察瞑想(ヴィパッサナー)の対象として四つを挙げて説法していて、それが大念処経とか念処経という名前でパーリ語の経典に保存されています。それぞれ、大蔵出版の長部経典の訳と中部経典の訳に、駒澤...

悟るために
仏教関係の仕事につく必要はありません。
お釈迦さまの時代には、ご飯を食べるのも自分で材料から作らなければならず、材料を手に入れるために自分も働かなければならず、、、で、在家生活では忙しすぎる...

お釈迦さまと同じ悟り
に達した人は、これまでたくさんおられました。お釈迦さまお一人というのはあなたの誤解だと思います。
悟るコツは、一点集中の禅定瞑想を越えた観瞑想で、常にそこにあるように見える何かを見て見て見て...

なんか変だぞ?
ものすごく雑に考えてませんか?
「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない(仏陀がオリジナルの言葉、無我)」
↓
仏教では、行為は三種類。意思、言葉、体の動き、...

生きたくないという気持ちも煩悩
まず、生きたくないという気持ちの正体を知りましょう。
煩悩といえば欲と怒りと無知の三種が有名ですが、、、
喉が渇いて仕方ないというような欲とも怒りとも区別がつきにくい本能のような意味で...

自分がされて嫌なことを他者にしない
「なぜ殺してはいけないの?」
という問いに対して、釈尊は、「あなたは殺されてもいいの?」と反問します。それで相手も、「ああ、意味が分かりました」と納得します。
現代の屁理屈社会では、おそら...

苦の対処法が修行
苦はただ苦だと感受するだけで、それだけでは修行とは言えません。
仏教では楽でさえも苦が少ないだけですべての現象は苦・空しいものと見ます。
楽しめの苦を受けたとき、苦しい苦を受けたとき、そ...

心の病気は自意識過剰から
心の病を仏教的に見るとすれば、原因は自意識過剰ではないかなと思います。
仏教用語では慢が強すぎるからではないかと見ます。
慢とは自分と他者を比べて己惚れたり落ち込んだりすることで、躁状態...

欲や怒りの多寡で
仏教では煩悩を三種類にまとめます。欲と怒りとそれらの親玉の無明(私)です。
煩悩の逆の善は、言動や心の行為に欲がないこと、怒りがないこと、私心がないことです。悟らないと完全には無理ですので、...

気にしなくなること
許すの感覚は、たぶん、気にしなくなる、気にならなくなる、忘れる、ことだと思います。
何か嫌なこと言われたりされたりすると、様々な種類の怒りが起きます。その怒りが割と早目に消える、忘れられる、...

ちょっとデータの混乱がありそうです
あなたがこのご質問のように考えた元データが何か分かりませんが、混乱があるように読めます。
三界から想受滅を経て解脱するのではなく、無色界禅定の上に想受滅があるのですが両者は解脱後の現法楽受・...

意識するのは我の仲間
まず、自分の状況を自分で把握しましょう、仏教的に。
我が煩悩の親分で、我があるから怒ったり欲が出たりするので、我を減らすほどうまく行く、我を張るほどうまく行かない、というのは分かります。
...

慈悲の瞑想
体のことは本人にしか分からないのですが、その様子が、周りの近しい人にはなんとなく伝わります。
そこで一緒に痛んだり苦しんだりしてしまうと、心の様子はどうしても外に出て周りに伝わるので、共倒...

弁護士を間に立てたのは正解
だと思います。だいぶ気力が弱っておられるようなので、ドライに、プロを間に立てて進めるべきだと思います。弁護士が、圧倒的に自分の見方かどうかだけ、一応気を付けたほうがいいです。間を取ってこのくらい...

仏教的な基準では
噓を言ったり誤魔化したりしてはいけない。一方、真実だからといって何でも言っていいわけではない。です。言う必要があるか、言わないといけないか、状況を見極めて、語るか語らないか、です。
この場合...

信仰も業だから善の信仰になるように
仏教を始めたお釈迦様が、あなたが考えたのと同じようなことを言っています。
すべての生命が自分の意志(意業)で言葉を発し(口業)、行動する(身業)。それは当然、自分に帰って業になり、次の自分の...