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今を生きる=悩む暇がないこと?

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有り難し有り難し 2

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。

今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。

そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。

しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。

これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。
ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。

そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。

また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか?
死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか?

お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

2023年9月22日 22:14

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの人生の中で変わっていくでしょう

拝読させて頂きました。
あなたが生きることについて様々思いめぐらしてとても迷っておられること伝わって参ります。あなたのお気持ち心よりお察しします。
ご質問の
「今を生きている」のでしょうか?
については毎日があわただしい生活の中で一杯いっぱいになっているのでしょう。それも生きることです。目の前のことに精一杯力を注いでいることは生きる基本かと思います。その積み重ねが人生です。
何かに夢中になり悩む余地がない・あわただしさの中で生きること死ぬことを忘れている様に感じるかもしれませんが、それでも生死はいつも私達から離れることはありません。仮に悩まない・忘れていたとしても常に私達に寄り添っているです。ですからふと一息ついて立ち止まった時に自らの生死を見つめることはあるのです。そうして己の人生がどうなのか見直すことができるのです。

「死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?」
あなたの人生があなたのペースで変わっていっているということかと思います。人ぞれぞれにその時期に生き方や考え方は変わっていくのです。

「私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか?」
生活や生き方が変わってきたことで死に対する捉え方が変わっているのかと思います。それはこれからもあなたの人生の中で恐らく試行錯誤を繰り返していくこおtでしょう。

いずれにせよ私達は与えられた命・時間の中で限られた人生を歩んでいくのです。
あなたがこれからの未来をあなたらしく心から豊かに充実した人生を歩んでいかれます様に心から祈っております。そしてあなたを心より応援しています。至心合掌

2023年9月23日 9:15
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma 様
お礼が遅くなり申し訳ございません。ご回答いただきありがとうございます。
生き方が変わったことで死に対する捉え方が変わった、ただそれだけの事なのですね。夢中になっていても生き死には側にあり、悩み方が変化しても命が有限なことに変わりはない、仰るとおりだと思います。
生き方に正解がないように、死の恐怖の解決方法にも正解は無いのでしょう。
優しいご回答をいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

専業主婦に憧れます

こんにちは。 以前新婚時に相談したものです。 新婚時は夫どの関係に自信が持てず悩んでいましたが、昨年第一子を出産してからは全く気にならなくなり、それどころか家族との日々を過ごせることをとても幸せに感じています。 今回ご相談したいことは、私の仕事のことです。 私は公務員で役所勤務しています。育休や子育て支援制度も充実しており、今は週3日勤務で子供を保育園に預けながら働いています。 平日休みの日は子供は保育園に行くので、私の時間ももらえ、とても恵まれているのはわかっているのですが、子供が熱を出したときなど急な休みをもらわないといけないときなど、仕事をやめてしまいたくなります。 急に仕事に穴を開ける罪悪感、子育てがあるため仕事に全力を注ぐことができない罪悪感、仕事のことを気にしながら子どもと向き合っているもどかしさ… 私は両立が苦手のようです。 どちらにも100%の力を注げないもどかしさもありますが、何より子供を育て、家族のことを一番に考えながら平和な家で家事育児をして過ごす日々が幸せすぎます。 なので、いっそ仕事をやめてしまって家事育児に専念し、余った時間で今流行りの在宅でできるお小遣い稼ぎでもしたらいいんじゃないかとか思ってしまいます。 でも、やっぱり今の仕事は本当に恵まれているのも承知しており、そこまで高給取りではありませんが、長い目で見れば金銭的にも大きな差が出てきて、将来の子供の学費などの資金にも影響が出てくると思います。夫はやめるのは私の保障がなくなる意味でもったいないといいますし、私の親は辞めたとしても、専業主婦になっても辛いこと嫌なことはあるから変わらないといいます。 今の私はどのように気持ちの整理をつければいいでしょうか。

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敢えてバランスを崩す

人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。 例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。 また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。 意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。 何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが) 仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。

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社会不適合者の生き方

今自身の存在意義について悩んでいます。 背景を記載致します。私はASDという発達障害を患っていることを社会人になって初めてしました。これは先天的なものであり、不治です。 学生時代から社会不適合や問題児として扱われてました。しかし、それも一つの味だといじられキャラとして何とか楽しく過ごせて来ました。また、人なりになれない部分ばかりですが、一部は無茶して何とかして来ました。 しかし、社会人になるとそうはいきません。普通の人が出来ることにやはり数倍苦労します。ミスばかりで他人に迷惑をかけます。無茶をすると逆に会社として困る存在になります。 学生時代からぼんやり思っており、発達障害とわかってはっきりしましたが、このような発達障害で何の取り柄もなく、人の数倍労力をかけないと人並みにすらなれない人間に何の意味があるのだろうと自己嫌悪に堕ちる日々です。 この先は生きていても誰の役にも立てず迷惑ばかりかける存在になると思っています。だからこそ、命を粗末にすることは悪いことと思いつつ、早死にしたいという気持ちがあります。苦しむために生まれて来たとさえ思います。 その反面、健常者と同じように生きたいという欲深い気持ちもあります。 難しい質問ではありますが、どんな心持ちで生きれば、この苦しい罰のような人生を乗り越えられるでしょうか?どうやって自身の存在を受け入れればいいでしょうか? 長年の悩みです。アドバイスをいただければ幸いです。

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自分の生き方

私は昔からわがままで性格が悪く自己中で欲の強い人間でした。 幼稚園の時女の子の友達に対していじめをしていたり、親の気を引くためにわざと親に対して嫌な事をしたり、歩くのに疲れたらお腹が痛いなど言い訳をして親におんぶをしてもらっていました。 小学生の時は、親の気を引くためにいじめられていると嘘をついたり、兄や母の部屋に入って物を取ったりしていました。 小1の時、友達と遊んでいたのですがその時に友達が子犬も連れていて私がその子犬を抱っこしてフェンスに登って遊んでいたのですが、あまり覚えていませんがその子犬を下に落としてしまってその子犬が亡くなってしまいました。もしかしたら自分が登っていて危なくなったので犬を下に落としたのかもしれません。 中学生になり人間関係がうまくいかずいじめを受けたりして、強迫神経症になりクラスに行けなくなり高校生の時学校を転校しました。また、幻聴も酷くなり、薬も効きません。 転校したのも正直自分が楽をしたかったからです。 転校した先の学校は通信制でお金がかかり親に迷惑をかけました。 親は片親で父親が亡くなり1人で育ててくれましたが、親の気持ちなど微塵も考えず自分が楽したいからと逃げていました。 社会人になって仕事が続かず、また職場で悪口のターゲットになりやすく、転々としていました。20代前半で6回も転職しています。どの職場でも悪口のターゲットになります。また、幻聴が聞こえてくるので何が何だか分からなくなり、被害妄想が強くなり周りが悪口を言っているからと言ってもしかしたら言っていないかもしれないのに周りのせいにしていました。 このままでは良くないと国家資格も勉強して取りましたが、せっかく就職しても悪口を言われるから、働いている時間が長く感じるからという理由で辞めてしまいました。働くのが嫌だという理由で結婚相手を探し始め、60万も借金があるのにそれを結局彼氏に支払ってもらい結婚もしましたが、旦那に対して別の人が良かったかも、もっと自分の人生を生きれば良かったなど最低な考えを持ってしまいます。どこまでクズなんだろうと思いますが、自覚がなかったようで最近自分が最低な人間だという事に気づきました。現在、妊娠しています。わがままな子供が妊娠しているような感じです。自分の行動を戒め今まで迷惑をかけてきた人達に対して償うにはどう生きればいいでしょうか?

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今後の自分の身の振り方について

自分のこれからの身の振り方について悩んでいます。 あと数年で30歳になります。 結婚した方が世間体や親にとっては良いのはわかっていますが、 育ってきた環境や人間関係から、相手を探すことに意欲的になれません。 具体的には下記の通りです。 ・幼稚園の時に親が離婚し、その意味も原因もその時に理解した ・同時期に従姉妹の母は従姉妹を産み失踪し、父親も不明でその状況も理解出来ていた ・母が再婚したが、父がネグレクト気味だった ・再婚する前に何度か会っていた時の父と比べて、再婚後の父から母に対する当たりが明らかに強かった ・子供の目から見ても分かるくらい父実家から母への当たりが強かった ・父が行きたくないと言った真夏の町内会の旅行に父以外で行き、 帰ってきたら締め出されて母が説得して何とか家に入れたことがあった ・父から性暴行未遂を受けた上に謝罪すらなかった ・一緒に住むくらい信用していた親友が、私に借金をして逆ギレして逃走して縁を切った 父が子育てに参加していた記憶は無く、母がほぼ1人で育ててくれました。 母はいつも家事と子育てと傲慢な父に縛られていて自由がなく、 その姿を見て育ったので結婚に対する良い印象が全くありません。 世の中の全ての人が父のような人では無いことは頭では理解出来ていますが、 もし相手が父のような人だったら、 付き合っている時は大丈夫でも人が変わってしまったら、 結婚によって自由が全くなくなってしまったら、などと考えると、 前向きに考えることができません。 また、数年前に親友に裏切られたことから、そもそも人を信用することがより怖くなってしまいました。 こんな気持ちのまま世間体だけを気にして惰性で相手を探しても、 相手に対して失礼だと思っています。 母のことは尊敬していて感謝しているので、 少しでも喜ばせてあげたい、安心させてあげたいという気持ちが強いです。 同じ環境で育った妹も年の離れた弟も、 父のせいで引きこもりがちで家族に何も相談出来ない人間に育ってしまい、 この2人の将来についても心配です。 私はひとりの人間として、母の娘として、妹弟の姉として、どう生きていったらいいのでしょうか。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ