天台宗の僧侶になるには
私は40代のサラリーマンです。この度、サラリーマン生活に終止符を打ち、僧侶になり仏様の教えを学び残された人生を生きたいと考えています。
天台宗である理由は、祖父、祖母が熱心な信徒であり、小さい頃から一緒にお経を読んだりしておりました。祖父、祖母を亡くした今、僧侶見習いなどをさせていただけるようなところをお寺さんにも相談させて頂きましたが、私の住む県内ではあまり無いようです。東京にある通信制の仏教塾も検討いたしましたが、出来れば経験を積みながら道を進めていければと考えております。
師に学び、見習いをさせて頂きながら、僧侶になりたいというのは浅はかな考えでしょうか。また、受け入れてくれるようなお寺さまはあったりしますでしょうか。不躾ではございますが、こちらでご相談させていただきます。よろしくお願いいたします。
今後の人生の送り方に迷いはあります。このまま定年まで暮らすのか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
文章拝読させていただきました。
ご質問の「天台宗の僧侶のなるには」というのは、私自身が浄土真宗の僧侶のため、お答えはできませんが、「私の煩悩」のところの「今後の人生の送り方に迷いはあります。このまま定年まで暮らすのか。」という問いがとても大事なことだと感じられたため、回答させていただきました。
本当に後悔のない生き方を考えるというのは、とても大事なことだと思います。仏教の開祖、お釈迦様もシャカ族の王子という地位も名誉も物質的にもすべてが満たされた境遇にありましたが、お城の外の貧しい生活を見た時に、自分の生き方は本当にこれで良いのかと問いを持たれ、本当に後悔のない生き方をしたいと、すべてを捨てて求道の道を歩まれました。
今の日本の人たちも、なんとなく世間のレールに乗らされ、そのまま周りの目を気にしながら流されて一生を終えていく人が多いです。そして、死ぬ間際になって、もっといろんな事に挑戦しておけば良かった、大切な人に自分の気持ちをちゃんと伝えておけば良かったなどと後悔したりします。
天台宗の僧侶といっても、今Masaさんが想像している生活と一緒かどうかは分かりません。もしかしたら、全然違う現状が待っているかも知れません。ただ、自分がやってみたいことを実際にやってみる、会いたい人に実際に会いに行くことはとても大事な経験になると思います。もしかしたら、そこでこういう人になりたいと思わせてくれる人に現実に出会うかも知れません。そうしたら、天台宗の僧侶から違う方向に行きたい方向が変わる可能性もあります。
多くの人が死ぬ間際に後悔することを、40代で気づくことができてMasaさんはとても幸運だと思います。今後、僧侶になったとしても結局は利他行が重要になってきますので、現在のサラリーマンでの生活も他人の気持ちを理解する上ではとても貴重な経験となります。
ぜひ今までの経験も大切にしつつ、これからもいろいろなことに挑戦していって欲しいと思います。
質問者からのお礼
御回答頂き本当にありがとうございます。
おっしゃる通り、日々精進、日々修行してまいりたいと思います。僧侶になったからとて、それが私にとって、しいては社会にとっての良いことなのかは分かりません。しかし、日々燻っている思いをこのまま蓋をして毎日過ごして良いのかという思いももちろんあります。
出来ることから、少しずつやっていきたいと思いますし、こうやってご縁頂いた貴寺のご法話ももしあればお伺い出来たらと思ってございます。
一つ一つのご縁を大切にし、一つ一つできることを丁寧にやりながら、道を歩んでいこうと再認識いたしました。
この度は御回答本当にありがとうございました。