「墓場まで持っていく」は正しい事?
始めに、長文になってしまうと思いますが、最後まで見ていただけると幸いです。
最近、「誰しも人に知られたくない秘密の一つや二つある」「墓場まで持っていく」という言葉に少し疑問を持ち出しています。
上記のような言葉は自分の隠し事を正当化しているような感じがしてきて、これが本当に正しいのか分からなくなってきました。
「世の中にはついて良い嘘もある」という言葉も例えば、不治の病にかかった家族に「お医者さんがちゃんと直るって言ってたよ」という嘘も、どんな嘘でもつかれたくない人にとって、それはついてはいけない嘘になります。
もしかしたら、「誰しも知られたくない秘密の一つや二つある」もそんな部類に入るのではと考え始めてます。
それでも人間、隠したいことや、この人には知られたくない事が出てきます。なので、「墓場に持っていく」「誰しも人には知られたくない秘密がある」という言葉が本当に正しい事なのか、
どうか皆様のご意見をお聞かせ下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分がどう向き合っていくかですね
拝読させて頂きました。
あなたが「墓場に持っていく」「誰しも人には知られたくない秘密がある」という言葉が本当に正しい事なのかどうかとても疑問に思っておられることを読ませて頂きました。あなたがその様に疑問に思われるお気持ちとてもわかる様に感じます。あなたのその思いを受け止めさせて頂きます。
「墓場に持っていく」「誰しも人には知られたくない秘密がある」という気持ちは恐らくどんな人の心の中にも湧き上がってくるものかと思います。私達は誰しもがものごとをわからない無知ですし、あやまちを犯してしまったり大切に人を傷つけてしまう様な罪悪を犯してしまうのです。その様な愚かな自分を恥ずかしく思ったり情けないと思ったり自分を責めてしまい苦しい思いをするのです。そんな自分を人には知らせたくないと思ったり、人に知らせるべきではないと思うのも自然です。そんな辛い思いを抱えて生きているのは私達ですから誰にも話さずに墓場まで持っていこうと考えても不思議はありません。
とはいえ仏様や神様やご先祖様はそんな私達の考えや言葉や行い全てをお見通しです。仏様や神様やご先祖様はいつでもどこでもどんな状況の中にあっても私達のことをよーーくご覧になっています。ですから一切隠しようがありません。どんなに嘘偽りを言ってしらを切って罪から逃れたとしても必ず仏様や神様やご先祖様はしっかりとご覧なさっているのですからね。
ですから自分のしたことをありのまま仏様や神様やご先祖様には全て告白することになるのです。そして心から反省し誠意をもって懺悔し、仏様や神様やご先祖様や傷つけてしまった方々や被害を与えてしまった方々に心から謝ることになります。そしてその様な愚かなことやあやまちを犯さない様に仏様や神様やご先祖様にお誓いするのです。
仏様や神様やご先祖様はしっかりとご存知ですから早いか遅いかの違いです。亡くなる前か後かの違いです。
私はできれば早く仏様や神様やご先祖様に自らのあやまちや罪を心から告白し懺悔することがご本人にとって善いことだと思います。しっかりと自らの罪に向き合ってそこからどうするべきかを考えて歩んでいけるでしょうからね。
あなたにはこれから様々な巡り合わせがあるでしょう、様々あやまちをおかしてしまうこともあるでしょう。その時にどう自分が向き合うことができるかであなたの人生が大きく変わっていくでしょう。
質問者からのお礼
今回はご回答いただき、誠にありがとうございました。 参考にしていきたいと思います。
返信が遅れてしまいすみません
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