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成人式行きたかったなあ

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この時期になると吹っ切れたはずの心がモヤモヤします。1年前、コロナに罹ってしまい、せっかく私のために仕立てた振袖も準備も何もかも無駄になったからです。

いろんな投稿が流れてきて、綺麗な振袖を見るたびに1年かけて宥めすかしてどうにか持ち直した心が、羨ましい、行きたかった、悲しいという気持ちで辛くなります。浪人した人、そもそも式典が中止になった人、私以外にも行けなかった人はたくさんいると思いますが、あと一歩、二日前に発症した病のせいで、当日みんな着飾ってる中私はベッドにゲロを吐いていました。

この本当に惨めな気持ちを毎年思い出して、残りの長い人生生きるのでしょうか。どうしたらこの痛みを和らげることができますか。

2024年1月9日 14:58

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ながらへば

本当に人生、なぜこんな時に...って思うような事が沢山起こりますよね。

私は小学生の頃、百人一首をしていました。当時はスポーツ感覚でやっていたので、大変でしたけど、今思うと、各歌の内容はとても良いものが揃っていますね
その中に、

「永らへば またこの頃や しのばれむ
憂(う)しと見し世ぞ 今は恋しき」

という歌があります。藤原清輔という方が作ったのですが意味としては、

「生き長らえていれば、昔の事がたくさん思い出されます。それが、どんなに苦しく、辛い思い出だったとしても、今では恋しくさえ思います」

これとよく似た歌が現代にもありますね。中島みゆきの「時代」です。歌詞の中に「今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて もう二度と笑顔には戻れそうもないけど そんな時代もあったねと 笑って話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」
とあります

私は3年間修行してたのですが、それが終わったあと、家族で泊りがけの旅行に行こうという話になりました。家族旅行は、小さい子供のときの記憶の中にうっすらあるくらいで、本当に久々だなぁ、と楽しみにしていたのですが、当日に親戚が亡くなり、あえなく中止となりました。何故このタイミングに、、と思いました。それ以来、家族で旅行は行けていません。
しかし、今となっては笑い話のネタです。
他にも、友人の結婚式と修行期間が被ってしまって行けなかったり、大事な仕事の時にコロナにかかってしまったり(今でも周りから突かれます)もありましたが、今となっては笑い話です。

仏教は、永遠不滅のものは存在しないと説きます。それは幸も不幸も、感情も同じです。永遠に、一生同じ気持ちでいられることはないでしょう。幸福もいずれ消えますが、同じく今の苦しみも、いずれ消えます。
なので、今はくよくよしないで、今日の風に吹かれておきましょう。時が経ってしまえば藤原清輔の様に、煩わしい嫌な思い出も逆に恋しくなってしまうかもしれません。逆に今を思う存分、悲しむのもありかもしれませんね。

追記
>その機会は永久に失われました
悟っておられるようで安心しました。
でしたら助言通り、毎年成人の日を迎えるごとに悲しんでみてください。私もよく後悔する時あります。後悔するには、充分すぎるくらい人生は長いです

2024年1月9日 19:55
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有り難し
おきもち

清浄華院で2年間修行の後、黒谷金戒光明寺で1年修行。 その後、京都嵐...
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どこを諦めるか

 こんにちは。コロナで成人式に行かれなかった…それはとても残念でしたね。そして、こういう「思い通りに行かない時」に、それをどう説明するか(納得するか)には、性格が非常によく出ます。こういう経験が性格を形作ってゆくとさえ言えます。
 「いつも私はこうなんだ、私がいけないんでしょ」と思うなら、それは悲観的な人の傾向です。「たまたま今回はタイミングが悪かった、気をつけてはいたけれどあの外出がいけなかったのかも」と思うなら、そう悲観的でもありません。さて、どちらでしょうか。
 もし前者のように考え、あなたがいつも全面的に悪いと思うなら、「そうではないよ、事柄は全て因縁の上で起きているよ」とお伝えしたい。縁つまり環境が整わなかったのであって、あなたが全面的に悪いわけじゃないと。この「因縁」というのは仏教の大切な捉え方です。
 そして後者なら、「今からせめて何ができるか」を追求しましょう。「振袖が着たかった」のであれば、着て写真を撮りましょう。古い友達と会いたかったのなら、今から声をかけましょう。どのみち全てを手に入れることはできないにせよ、一部だけでも取り返しましょう。写真だけでも撮っておけば、後々見返して「あの時は大変だったな、だけどこの時の私の姿は、こうして残す事ができた」と思えるでしょう。「一年遅れたけれど、またみんなに会えたな」も楽しい思い出にプラスできるでしょう。
 全てを手に入れたい、という自分の願いを割引する事で、少なくとも今より苦しみは少なくなるはずです。苦しさとは、過去の出来事そのものではなく、それをどう捉えるかという、認識の問題なのです。

 追記
「お礼」欄の書き込み、ありがとうございました。「男性には分からないだろう」とのお気持ちになられたが、と存じます。それはそれで一つ学ばれたのでしょう。直接お役に立てず申し訳ありませんが、「痛みを和らげる」ことを目指されているのは、よろしいと思います。これからも色んな方にお話ししてみては如何でしょうか。

2024年1月9日 18:30
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

上の方は長い自分語り、下の方は私の父のようにやれることをやろうという言葉で、「そういうことじゃないんだよ」という気持ちが増幅しました。友人にただ会うのではなく「振袖で」会うことが大事なんです。その機会は永久に失われました。男性には理解しづらいでしょう。ご返答ありがとうございました。

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