妊娠出産報告に喜べません
最近第一子を出産して、少し落ち着いたので友人に出産報告をしました。
普段はあまり連絡は取らないのですが、結婚式にも参加したりしてもらった仲なので、一応しました。
すると、数人に実は私も妊娠してて…や、2人目妊娠中で…と伝えられました。
とても喜ばしいことなのに、自分も出産しているのに、なぜかとても精神的に元気がなくなってしまいました。
話題の中心に自分がいなくなったから?なのか…とても複雑な感情でよく分からないですが、辛いです。
別に2人目が欲しいとかではないです。
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おめでとうございます
ご相談拝読しました。
まずは、お子様のご誕生、誠におめでとうございます。
ご友人からもシンプルなお祝いのリアクションだけが欲しかったのでしょうか。思ったのと違うものが返ってきて戸惑っておられるのですね。
色々と気を遣う時代ですから、妊娠・出産報告も難しい面があるのでしょう。あなたが報告してくれたからこそ、向こうも報告できたのでしょうね。まあ今の時代はあるあるなのかな?と感じましたが、あなたはご自身でも整理がつかない気持ちになっているのですね。
私としては、その複雑な気持ちを無理矢理にでも整理するとか、分類仕分けして、これはこういう気持ちだと特定するとか、あるいはこういう考え方からこの気持ちが出てきたのだと原因を特定するとか、そういうことはしなくてもいいのではないかと思います。
なぜならばこういうことはこれからいくらでも起こり得るからです。
思い通りにならない世の中にあって、思い通りにしたい欲求をどこかで抱えながら生きている私たちは、必ずこういうことになるのです。
ならばその都度生じてくる不快な気持ちをいちいち相手にするのでなく、気持ちと距離を取るとか、気持ちをそんなに重要視しない、という選択がクレバーだと思います。
人間の気持ちなんてコロコロ変わる不完全で不安定なものなのです。
それにとらわれるよりも、「ああ、なんか自分が主役じゃなくなって面白くないけど、ここはこちらもお祝いすべきだからしとくか」と型としてこなす。
それはけして自分をないがしろにするのではなく、結果的にその方が楽なのです。型としてやることをやって置けば、不快な気持ちはそのままでも、あとは自分とお子様の幸せな時間にシフトしていけば、あとから気持ちの方もついてきますし、そのうちどうでもよくなっています。
人間(=自分)というのは勝手なもの。気持ちというのは移ろうもの。
そこをよく押さえておくこと。自分自身をキレイなものとか至高なものであろうとすると不快な気持ちに面食らいますが、「まあ、こういうことも思うよね私は」と認識していれば問題はありません。
気持ち=私 ではない。だから、気持ちを大事にすることが私を大事にすることではない、ということ。そこがポイントな気がします。
質問者からのお礼
ありがとうございます