25年ぶりの再会。回答受付中
25年ぶりに友人と再会します。
1990年代に出会い当時は20代、訪れたアメリカ旅行で知り合った彼と旅を終えてからは電話をかけ声を聞いたり、インターネットが主流になってからはメールでお互いの近況を伝えたりしました。
彼は外国人で語学力が乏しいながらも長い間に付き合って下さり、仕事の関係で彼が南米や各地へ異動してからも縁は続いています。
一期一会という言葉がありますが25年経った今も交流が続くことの素晴らしさ、嬉しさ、感謝は言葉の壁を越え生き続けるものかも知れませんね。
仏教の時間もそうでしょうか、目には見えない仏様と念ずることも大切にしつつ近況を伝え感謝することも生き続けるものかも知れませんね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一期一会の善きご縁を大切に
拝読させて頂きました。
本当に素晴らしいご縁ですね。その様な善きご縁は一生の中でも本当になかなかない尊いものだと思います。
これから再会を果たされることでしょうからどうかその一期一会を本当に豊かに幸せな時間として頂きたいと思います。
私達の命は限りあるものです。そのご縁やその時や場を大切になさって下さいね。
あなたがこれからの未来も素晴らしいご縁に恵まれて心から豊かに充実した人生を大切な方々と共に分かち合い生き抜いていくことできます様に切に神仏やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
またあなたのお気持ちをお聞かせ下さいね、あなたを心よりお待ちしております。m(_ _)m
一期一会が25年続く奇跡に感動!!
しんさん、ハスノハへの投稿、有り難うございます。これまでのご相談を振り返ると、度々に病気や入院・手術を経験され、仕事においても困難や苦悩の多い中を精一杯生き抜いてこられたしんさんの姿が浮かびました。だからこそ、今回の投稿は、しんさんの新たな面を垣間見ることが出来て、読ませていただいた私も大変嬉しく思いました。国や言葉の違いを超えて25年も交流が続いているのは奇跡的なことで、まさに「有り難い」ことですね。真っ暗な夜空にこそ月の輝きを観る時、その感動はさらに増しますね。しんさんの苦労や困難が大きかったからこそ、25年ぶりの再会の喜びはひとしおでしょう。
さあ、25年ぶりに会う友と、どこに行きますか?何を食べますか?どんなことを語り合いますか?今から、わくわくしますね。これまで25年続いたお付き合いがしんさんを支えてきたように、今回の再会の思い出がこれからのしんさんの日々をきっと支えてくれるでしょう。友と語り合う中で、しんさん自身のこれまでの苦労や困難も無駄ではなかったと、これまでの出来事の意味合いが大きく転じられるかもしれません。また、友にとっても、しんさんの存在が大きな支えになっていたのかもしれませんね。まさに「お互いさま」ですね。
「仏さまの本籍地は西方極楽浄土、現住所は娑婆世界の私のそば」と、学ばせていただいています。この言葉は、しんさんと25年来の友だちが「物理的には離れていても、心はつながってきた」ことと重なりますね。だからこそ、この理不尽や矛盾多い娑婆世界でも、私たちそして私たちのご先祖も、生き抜いてこられたのかもしれません。このハスノハが、これからもしんさんと仏さまの橋渡し役になれれば幸いです。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azumaさま
こんばんは。
仰って頂いたように私達の命は限られたものです。
長い人生のなかで出会いというご縁、国や言葉の壁を越えても今も繋がることは喜びであり感謝の一言に尽きます。
もうすぐ彼と再会です、初めてお会いしたのが1997年11月、前回が1999年2月です。当時を思い出して泣きそうです。
Kousyo Kuuyo Azumaさま
こんばんは。
仰って頂いたように私達の命は限られたものです。
長い人生のなかで出会いというご縁、国や言葉の壁を越えても今も繋がることは喜びであり感謝の一言に尽きます。
もうすぐ彼と再会です、初めてお会いしたのが1997年11月、前回が1999年2月です。当時を思い出して泣きそうです。
げんさん様
おはようございます。
これまでの様々な体験を思い出します。
病気で入退院を繰り返し手術を2回も経験して仕事もしない生活が数ヶ月も続き、気力も萎え一時期は自ら死、、、を考えた時もありました。
苦難が続き生かされてること、彼との交流が初めてお会いして25年、前回が25年前も奇跡に近いと思います。
こうして、げんさん様とのご縁も奇跡の一つかも知れませんね。
「仏さまの本籍地は西方極楽浄土、現住所は娑婆世界の私のそば」素敵な言葉、嬉しく有難うございます。