諦めることと、努力すること回答受付中
諦めと欲望について
こんにちは。質問を見てくださりありがとうございます。
仏教の本を読み、諦めることは必ずしも悪いことではないことや、足るを知ることを学びました。確かに現状に不満ばかり言っていても楽しくないですし、今あるものに集中して満足することは楽しく生きる上で重要だと思います。
ですが、それだけではつまらないなとも思ってしまいます。何かを願って手に入らない時に感じる悔しさも、手に入った時に感じる嬉しさも含めて人生を豊かにするのではないかとも思います。欲望を持たず、じっとしてるだけの人生は面白くない人生に見えてしまいます。あの時好きだった人と付き合えなかった、とか希望の大学に入れなかった、のような悔しさや悲しさだって時が経てば青春の良い思い出になるのではと思います。
諦める、足るを知るという考え方と欲望を持つことはどのようにして折り合わせればいいのでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「諦める」そして「足るを知る」とは。
こんばんは。亀山純史と申します。
あなたが述べているように、現状に不満ばかり言っても楽しさは得られません。今あるものに満足することが、楽しく生きる上で重要なときもあるでしょう。そのような生き方を目指すとき、「諦める」と「足るを知る」という言葉、生き方をどう私たちは理解すべきでしょうか。
私の考えでは、「諦める」も「足るを知る」も、欲を持たずに、欲が湧いても我慢するということではありません。私たちの苦しみを引き起こすものは、諸行無常の世界における尽きることのない欲望です。ここで重要なのは、欲望そのものが悪いわけではなく、その欲望が「尽きることがない」という点だと思います。ですから、「諦める」とは、尽きない自分自身の欲を「明らかに知る」ということだと考えます。同様に、「足るを知る」も、尽きることのない自分の欲にリミッターをかけることを意味しています。決して、欲望を持つなというわけではありません。
以上が私からの回答です。どうか有意義な人生を歩まれることを願っています。
ぜひトライなさって下さい
拝読させて頂きました。
あなたのお考えをお聞かせ頂きありがとうございます、そしてご質問ありがとうございます。
あなたがおっしゃるように様々自分の望むように努力したり行動してみることは決してムダなことではありません、その後得られなかったりいい結果に結びつかなくて悔しくて悲しくてなかなか受け止められないことであったとしてもそれはとても重要な意味を持ってくることになります。
その様な辛い思いや悲しみや苦しみを知ってこそ人間として成長する機会を得ることができますからね。
その思いを知るからこそ周りの人達の気持ちもわかるようになりますし、受け止めてあげられたり、人の気持ちに寄り添ってあげることもできるようになります。
ですから得られなかったことや間違いや失敗をどう受け止めていくのかによって人として時間をかけて経験を積んで成長していくことができます。
そうした時には諦めということの意味も足るを知ることの意味も厚く理解していくことができるのです。
ぜひこれからもあなた自身の夢や希望や目標を持ってしっかりと挑戦なさって下さい。あなたがこれから自らの夢や希望や目標に向かってしっかりと努力なさり一つ一つ経験を積んでいかれ、人として健やかにご成長なさっていくことできますように、大切な方々とのご縁に恵まれながら心豊かにおおらかに充実した毎日を生き抜いていくことできますように切にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
亀山純史
ご回答ありがとうございます。欲望にリミッターをかけるという言葉に納得することができました。もっと欲しいと思い続けるのではなく、これくらいで十分だなあと思うことが大事なのですね。
Kyousyo Kuuya Azumaさま
ご回答ありがとうございます。チャレンジをして失敗した後に、それを受け入れて成長し、その時になって初めて諦めや足るを知るを理解できるのですね。初めから諦めるのではなくやってみてそれから諦めたり足るを知ることを意識することにします。