徳を積むとは?
徳を積んだら天国に行きやすいとか日本人に生まれやすいとか聞きますが、
医者とかになった方がいいんですか?
徳を積むとか言われても虫を殺さない、とか、席を譲るとか小さなことしかできません。
やはり、大きい方が良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問ありがとうございます。
徳を積むのに大きいとか小さいとかはありませんよ。
お金持ちの人がたくさんの人にたくさんのお金をあげた徳よりも、貧しい人が自分のたった一皿の食事からスプーン1杯をさらに貧しい人に与えた徳の方が神仏は喜ばれますからね。
良いことをして徳1点、悪いことをしなくて徳1点、と小さなことを積み重ねていきましょうね。
席をゆずって徳1点、道をゆずって徳1点、笑顔を見せて徳1点、お掃除して徳1点、優しい言葉を使って徳1点、浮気をしなくて徳1点、悪口を言わずに徳1点、生活の中でいろんなところに徳がありますからね。
お互いに徳を積んでいきましょうね。
善き考え•言葉•行いを心がけましょう
拝読させて頂きました。
徳を積むとはわかりやすく言うと善い考えを持って善い言葉を使い善い行いをしていくことです。医師や弁護士や政治家になったからいいというわけではありません。
職業として何になったから徳を積むというよりは善いことを進んでしていくことです。
医師や弁護士や政治家になっても悪意や悪言や悪行をしていけば徳ではなく罪悪を重ねていくことになり、その報いを受けます。
うそいつわりや人をだまし他者を傷つけて奪えば必ず大きな苦しみがもたらされます。
小さくても善きことをぜひ日々心がけて下さい。
あなたがこれからの未来を悪をなさらず、善き考えや言葉や行いを日々心がけて、皆さんと一緒に心健やかに幸せに生き抜いていくことできます様に切に仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。
どうか善きことをなさりあなた自身の徳を積んでいって下さいね。至心合掌
目の前の人を少しでも幸せにできる行動が「徳を積む」ということ
徳を積むということについて、深く考えさせられる質問をありがとうございます。
徳を積むとは、つまるところ「良い行い」を重ねていくことです。しかし、ここで大切なのは、その行為の大小ではありません。医者になることも、席を譲ることも、同じように価値ある行為なのです。
私が考える「良い行い」とは、人々に安心を与え、笑顔を生み出す行為です。目の前の人が穏やかな心でいられるような行動をとること、それが徳を積むことの本質だと思います。
例えば、あなたが挙げた「席を譲る」という行為。これは決して小さなことではありません。その行為によって、誰かが心地よく過ごせるかもしれない。それは十分に価値ある行いです。
「虫を殺さない」ことについては、生命を大切にする心は素晴らしいものです。ただし、自分の命が危険にさらされる場合は例外もあります。ここは柔軟な思考が必要でしょう。
徳を積むことで、人望を得たり、良い人間関係を築けたりするかもしれません。しかし、そういった見返りを求めて行動するのは本末転倒です。純粋に相手のためを思い、行動することが大切です。
日々の生活の中で、「ありがとう」と言葉に出すこと、自分から笑顔になること。これらも立派な「徳を積む」行為です。こういった小さな行動の積み重ねが、結果的に大きな影響を与えるのです。
どうか、特別なことをしなければならないというプレッシャーを感じないでください。目の前の人を少しでも幸せにできる行動を、日々の生活の中で実践していってください。それこそが、真の意味で「徳を積む」ことなのです。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます、
ただ、過去は優しくしていたのですが、
損しかなくて我慢ができず、
悪いことをするようになり、貧困ではなくなってしまいました。
徳を積みづらくなった気がします...
でも、小さなことをして、少しずつプラスになるようにがんばります。