上司からの不信回答受付中
私はA型作業所に入所していて、支援を受けながら働いている障害者です。
最初は上手く働けませんでしたが、今は急ぎの仕事をよく任せて頂けるし、実際「仕事が早くて丁寧だ、助かる」と言われます。一人の時は黙々と、皆でやる時は協力して仕事に取り組んできました。
相談員さんにこのような事を伝えられました。
上司は、私に対して「昼休みに『私はパートなんだから雑に仕事をしていればいいんだ』と言うような発言したらしいじゃないか。どういう事だ。もしかして最近休みがちなのもそういう事か?医師が仕事を休めと言っているのは本当なのか」と言っている─そう相談員さんに告げられました。
心当たりはありました。昼休みに仲の良い同僚が「スーパーに行ったら店員に雑な対応をされた!あの人絶対パートだわ〜」と愚痴を言っていて、私は「まぁ、パートの人って中には雑に仕事してればいいみたいな人もいるよね」みたいな事を答えたのです。
しかし決して「私はパートだから雑に働けばいいんだ」というような意味ではありません。そう相談員さんにお伝えしました。
まず、昼休み中の雑談まで聞かれていて、しかも会話の一部を切り取られ曲解されている事がショックです。
そして、そもそも「仕事なんて雑にすればいいんだ」なんて発言していません。今まで雑に仕事をした事もありません。
今まで頑張ってきたのに、成果も出してきたと思うのに、ありもしない発言で会社全体がその全てを疑っている。
本当は彼らは私の事を「隙あらばサボろうとする問題児」だと思っていたのか?だから私のちょっとした発言がそういう風に聞こえてしまったのではないか?
今までの色んな事に対して疑心暗鬼になってしまいます。
私は信じて欲しかったのです。例え昼休みの雑談が耳に入り、私がそう言った風に聞こえたとしても、「ゼロさんは真面目にやってるし、そんな事を言うはずないよね。きっと他愛ないお喋りの中の言葉のあやなんだろう」と思って欲しかったのです。私の今までの仕事を疑って欲しくなかったのです。
こんな気持ちばかり浮かんで涙が出ます。でも、信じて欲しかったという気持ちもありますが、それと同じくらい強く前に進みたいと思います。
今の私に何ができるでしょうか。もしお釈迦様なら今の私に何とおっしゃるでしょうか。仏教の教えは今の私をどう導いてくださるでしょうか。
ぜひご教授ください。
お坊さんからの回答 1件
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お釈迦さまならこう答えると思います
ご相談、読ませていただきました。あなたが真剣に努力を重ね、認められてきた仕事を誤解され、傷ついていらっしゃるお気持ちはとてもよく分かります。「信じて欲しかった」という思いは、人として当然の感情ですし、自分が大切にしてきたものが揺らぐような体験は深い痛みを伴います。それでも、あなたが「前に進みたい」と願っておられるその強さに、私は大きな尊敬を感じます。
お釈迦さまの教えでは、「他者の評価は移ろいやすいものであり、私たちが本当に大切にすべきは、自分の心や行い」という言葉があります。あなたの誠実さや努力は、どんな誤解でも変わることのない確かな財産です。今はその価値が正しく伝わらず苦しいかもしれませんが、その積み重ねは必ず未来で実を結びます。どうか自分自身の努力を信じてください。
また、誤解を受けたとしても、それがあなたの本質ではありません。ほんの一部の切り取られた言葉や状況が間違って伝わっただけです。これまでの誠実な働きぶりが、時間をかけて必ずまた評価される日が来ます。そのことを焦らずに信じ続けてください。
「信じて欲しかった」という思いは、相手を信じているからこそ生まれるものです。でも、他人を完全に理解することも、理解されることも難しいのが人の関係です。お釈迦さまの教えに「因果」の法則がありますが、あなたが日々積み重ねてきた善い行いは、必ず良い形で返ってきます。その結果がいつ現れるかは分かりませんが、その瞬間まで丁寧に一歩ずつ進むことが、必ずあなたの力になります。
最後に、今の苦しみの中で自分を否定しないでください。これまでの努力は確かで、あなた自身の尊さは決して変わりません。「誤解されたことも経験の一つ」と捉えながら、引き続き誠実に仕事に向き合い続けてください。お釈迦さまは、「人を変えるよりも、自分の心を整えることが大切」と説かれています。あなたの道にはこれまでの努力の光が灯り続けています。あなたの真実は消えることなく、必ずまた報われる日が訪れるでしょう。
どんな時も、自分自身があなたの味方でありますように。心からあなたの一歩一歩を応援しています。合掌