理解できない
家族葬だと言っても、芸能人が亡くなって家族葬だと言っても、親戚でもなんでもない生前親交のあったタレントさんや俳優さんが来る、一般の人でも、関係性の薄い親族が来るのは理解できない。なぜあなたには関係ないからで来るなとは言わないのか
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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知らなかった故人の一面を再発見できる、貴重な機会と捉える
確かに、言葉だけを見れば「家族」と限定しているのに、と感じられるのはもっともなことかもしれません。
ただ、少しだけ逆の立場で想像してみてはいかがでしょうか。
もし、ご相談者さんにとって本当に大切なご友人や、学生時代の恩師が亡くなられたとします。
最後のお別れをしたいと切に願っている時に、ご遺族から
「家族葬ですから来ないでください」
「あなたは関係ないから」
とはっきり言われてしまったら、どのように感じられるでしょうか。
きっと、とても悲しく、寂しく、やりきれない気持ちになるのではないでしょうか。
「家族葬」と一口に言っても、故人と参列を希望される方の間に、どのようなご縁や繋がりがあったのか、そのすべてをご家族が把握しているとは限りません。
ご家族が知らないだけで、故人ととても深い友情や信頼関係で結ばれていた方もいらっしゃるでしょう。
ご家族から見れば「関係性が薄い親戚」であっても、その方にとっては「小さい頃から知っている大切な人」であり、たとえ会うのが何年かに一度だったとしても、「最後のお別れも言えないのは悲しい」と強く感じていらっしゃるかもしれません。
逆に、近い家族だからといって参列したくない、というケースだってあるのです。
人のご縁は、外側から見えるものだけでは分かりません。
ですから、「家族葬」という形式はあれども、その線引きをあまり厳密に考える必要はないのではないか、と私は思います。
むしろ、ご遺族が「コンパクトに」と考えていたとしても、予想外に多くの方がお別れに来てくださったとしたら、それは故人が生前にそれだけ多くの方とご縁を結び、慕われていた証です。
「ああ、私の大切なお父さん(お母さん)は、こんなにも多くの人と繋がっていたんだ」
と、ご家族の知らなかった故人の一面を再発見できる、貴重な機会と捉えることもできるのではないでしょうか。
もちろん、ご存じない方が多く参列されれば、ご遺族の対応は大変になるかもしれません。
しかし、その方々は決して悪意を持って来られるわけではないのです。
その方々の「故人を思う気持ち」や「故人との繋がり」に目を向け、受け入れる大きな心でお見送りすること。
それが、故人にとっても、見送るご家族にとっても、最終的により良いお別れに繋がるのではないか、と私は思います。
生きること死ぬことをじっくり考えてみてはいかがでしょう
拝読させて頂きました。
あなたのお考えも一理です、コウブン師がおっしゃるお考えも一理です。
お葬式には様々な形があります。人は独りで生きていくわけではありませんからね。
せっかくの機会なのでゆっくりと人が生きること死ぬことを見つめていく機会になさってみて下さいね。
あなたや皆さんがこれからも人との出会いやご縁を大切になさり、心から豊かに幸せに毎日を生き抜いていきますように切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌



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自動車開発エンジニアの経験がある。
元サラリーマンの僧侶です。
会社内の人間関係のご相談引き受けます。