過去の後悔と今後について回答受付中
現在21歳の女子大学生です。
過去の出来事について、意見を伺いたく、ご相談させていただきます。
長文で申し訳ございません。
小学4年生の頃、仲の良い友達が一人いました。ある日、その友達が「自分の椅子に落書きがある」と私に話してくれました。
(※落書きの内容はプロフィールに書かせていただきました。)
私は「先生に言いに行こう」と伝え、二人で担任の先生に相談しました。
後日、その担任の先生に職員室へ呼び出され、「その落書きは、みつばがやったのではないか」と言われました。私は「やっていません」と否定しましたが、「でもみつばの字が似ている」と言われ、それでも「いいえ、やってません」というやりとりを3回ほど繰り返し、最終的に「いい加減やったと言わないと怒るぞ」と言われました。
当時、先生が怒ることがとても怖く、私は事実ではないのに、「やりました」と言ってしまいました。
その後、友達に謝りましたが、私がやったと認めたことで裏切られたと感じさせてしまい、仲が悪くなりました。
友達のお母さんも、よく話してくれていましたが、その件があって全く話さなくなりました。
小学6年生の時、その友達とは再び話せるようになり、移動教室の際に私が「あれは先生になすりつけられたんだよね」と話すと、「あの先生、最悪だったよね」と言ってくれました。
その後は中学でも関係が悪くなることはなく、卒業し、高校時代も時々連絡を取り合い、大学時代は連絡を取り合うことはなくなりましたが、成人式で話しかけてくれました。
現在、卒論や就職活動が終わり、無事に卒業できる見通しが立ったことで、過去のことを振り返るようになり、この出来事を思い出すようになりました。
当時、私は友達に「やっていない」とは言えたものの、最後まで先生に反論できなかったことを謝れなかったので、今になって後悔しています。
現在もその友達の連絡先を知っており、直接会うか、あるいはメールで、最後まで先生に反論できなかったことについて謝罪をしたいという気持ちがあります。
しかし、今更掘り起こすのは、自分本位で身勝手なものになってしまうのではないかとも感じています。
このような場合、その友達に連絡を取ってもよいものか、お坊さん達の考え方からご教示いただけましたら幸いです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去を消すことはできませんが、過去の「意味」は変えられます。
はじめまして。僧侶の釋聴法と申します。
幼い日の心の傷を抱え、今日までよく歩んでこられましたね。信頼すべき教師からの不当な疑い、そして友を失った孤独感は、多感な時期のあなたにとってどれほど理不尽で、冷たい雨に打たれるような経験だったことでしょう。
この先生の行った事は完全に間違っており、「判断」「対処」等すべてにおいて「慎重さ」や「丁寧さ」に欠けております。十年程度前はさほど昔ではないので、今どきの先生としては「軽率な方」なのでしょう。(擁護する気はありませんが)先生も人間である以上、「過ち」や「罪」を犯す事はあります。悪い先生に当たってしまったと捉えるしかありません。
仏教には「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉があります。これは、恨みや憎しみを抱いている相手(嫌いな人や苦手な人)と会わなければならない、あるいは関わらなければならないという苦しみを指します。そして、この苦しみは嫌な相手や出来事に執着してしまう苦しみです。あなたが今も苦しんでいるのは、過去の出来事そのものではなく、心の中に住み着いた「当時の影」が現在のあなたを縛っているからです。
まずは、小学生の頃の自分を抱きしめてあげてください。「あなたは悪くなかった。一人でよく耐えたね」と、今のあなたが最高の理解者になってあげるのです。
過去を消すことはできませんが、過去の「意味」は変えられます。その痛みを知るあなたは、誰よりも他人の孤独に寄り添える慈悲の心を持っています。泥の中から蓮の花が咲くように、その傷を優しさへと昇華させていく。それがあなた自身の救いとなります。
お友達に連絡を取ってもよいものか?...お友達は既に「あの先生、最悪だったよね」と理解をしている様子なので、更にこの件について謝罪などは必要ないでしょう。そもそも、あなた様は何も悪い事をしておりませんし。ただ、何か伝えたいことがあってモヤモヤしているのであれば、連絡を取っても良いと思います。ただ、深堀すればするほど、自分自身を辛い方向に追い込んでしまうので、その点には注意が必要です。
「あんな嫌な事もあったな~」って思えるようになるまでは少々時間がかかるかもしれませんが、21歳の女子大学生、これからが輝く時です。どうか。力強く生きて下さい。
拝
縁起寺 釋聴法
大人になった今なら、友人もあなたの気持ちを受け入れてくれるわ
あの頃の「教師」と「生徒」という立場から、疑いをかけられ認めるように責め続けられたら、早くその場から解放されたくて頷くしかなかったのですよね。
先生の行為は脅迫であり、それは「暴力」です。そんな状況を前に、反論していくことは、困難だったことでしょう。
ただ、生徒に耳を傾けようともしない教師なら、この件すら覚えていないだろうと思います。悔しいですよね。教師の行為で、あなたも友人も関係がギクシャクしたのですから、教師の罪は大きいわね。
以前に友人が「あの先生は最悪だった」と言っています。きちんと対応してくれない教師というのは、友人も知ってのこと。ですから、あなたが反論もしなかった人だという印象は持っていないと思うわよ。
友人と2人の間には、良き関係が保たれているのですから、再度の謝罪は不要かなとも思いますが。
わざわざ会うまではなくても、メールで伝えるのであれば、あなたの誠意が伝わるかもしれませんね。小6で事情を説明した頃から、互いに大人になっています。友人もあなたの気持ちをしっかり受け入れてくれるのではないかしら。
冤罪です、あなたは決して悪くないです
拝読させて頂きました。
あなたが小学校の頃に先生から強要されて冤罪をなすりつけられたのですね。今でもそのことが心に残っていて先生に反論できなかったことを謝りたいと思って悔やんでいるのですね。
詳細なあなたやその子やその先生とのことはわからないですけれども、あなたのその辛い思いを心よりお察しします。
先ずあなたは決して悪くはないです。小学校が先生に呼び出されてそのように強要されたらなかなか反論することは難しいです。
先生は権力者ですから小学生が逆らうことは大変です。
ですからあなたは悪くありません。そのことをしっかりと自覚なさってみてはいかがでしょう。
世の中や世界には実はそのような権力者による差別や偏見による冤罪事件は沢山あります。詳細は省きますが弱い立場の方が加害者として濡れ衣を着せられることはあるのです。それは権力者や差別する方が悪いのです、差別や偏見をするものが罪悪を犯しているのです。
あなたの心の中ではなかなか気持ちが晴れないかもしれませんが、決して自分は悪くないことを知って下さい。
天網恢恢疎にして漏らさず、です。仏様や神様やご先祖様はしっかりと真実を知っておられます。いずれ罪を犯したものにその報いがきます。
それでもやはりあなたがその子にお伝えなさりたいならばお手紙であなたのお気持ちを書いてお送りなさってみたり、またお会いなさった時にしっかりとお伝えなさってみてはいかがでしょう。
きっとその子もあなたの気持ちをわかって下さるでしょうからね。
それともしもこれから先に同窓会などでその先生にお会いなさる機会があるならば、その時の冤罪についてしっかりと謝罪を求めましょう。
過ぎ去ったことでは済まされないです。先生自身が自らのあやまち•罪を認めて反省して心からあなたに謝罪して頂きましょう。
あなたがこれからもそのような冤罪を受けることなく善き考えや言葉や行いを日々心がけて安心して皆さんと仲良く健やかに生きることできますように切に仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌



お悩みの相談は全般的に対応します。(不安や人間関係など)
元高等学校教員ですので、将来の進路に関する相談などにも対応いたします。
現在も非常勤講師を行っているため、少々対応にお時間をいただく場合もあります。
◆職場や学校での人間関係がうまくいかない
◆ストレスや不安で日々の生活に支障がある
◆無気力で、人生の目標を見出せない
◆卒業後の進路を決める事ができない
◆別れた交際相手の事を忘れる事ができない
◆家庭不和で毎日の生活が辛い
◆家族や大切な人を亡くして心の整理がつかない
◆何事も悪い方向に捉えてしまい、自己嫌悪に陥っている
◆ついつい他人に辛くあたってしまい、後悔を繰り返す
◆毎日充実した日々を送れるように、仏教の勉強がしたい
など、上記はこれまでの相談の例(ハスノハ以外を含む)です。