もはやこれまでなのか回答受付中
物事を「言った、言わない」「あった、なかった」いろいろ捻じ曲げられて…実家の家族にも訳の分からないまま悪者にされ、仕事でも孤立無援のままうつ病になり、それでも何とか自立を保ちたいと思っても、最後思ってもいない悪いことを「そう思ってるんじゃないのか」と言われ、完全に心が折れました。
「生きてさえいれば何とかなる」何度も聞きましたが、自分なりに大事に思っていた人たちに裏切られ、浪人して大学に行き、何とか生き残るために身に付けた専門知識も無駄にして、体ももう思う通りに動かず・・・どれだけ何とかなるようにしようとしたのか。でも、何ともならなかった。
今の自分は、死ねないだけ。まだ寿命が来ないから、生きながらえているだけ。生きたいだけ生きるにも、死にたいときに死ぬにも、相当な苦痛を越えなければならない、それができる度胸も何もないだけ。
叶うなら、もう一度きちんと働いて、スキルを伸ばして、自分で自分の生活くらい成り立たせたい。それすら叶わない。本当に命さえあればなんとかなるものなのでしょうか。よくわからなくなりました。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
丘を越えて行こうよ! 人生の修養
ご質問を拝読いたしました。
あなたは今までも、そしてこれからも、
人生を真剣に、まじめに生きていく方だ。
私は、そのように感じました。
浪人して大学へ進み、専門知識を身につけ、
自立しようと努力を重ねてこられた。
それでも、実家でも職場でも思いが伝わらず
心が折れてしまった。
「命さえあれば何とかなる。」
その言葉が、今のあなたには空しく聞こえるのも無理はありません。
私の父が、生前よくこんなことを話していました。
言いたくとも言えず。
したくともできないことがある。
口惜しいことがある。
弁解しなくてはと思う時がある。
全く無実の悪評を受ける時がある。
それらの苦痛を、じっと抱きしめて見つめる。
そこの人の修養がある。
人生には、どうしても弁解できないことがあります。
誤解されても、信じてもらえないことがあります。
「言った、言わない。」
「そんなことを思っているのではないか。」
事実までねじ曲げられ、深く傷つくこともあります。
私も、そのような理不尽を見聞きし、経験してきました。
だからこそ、
あなたの苦しみを軽く「頑張ってください」と言うことはできません。
それでも私は思います。
人生は、これからですよ。
なぜなら、あなたは今もこうして、
ご自身の苦しみを言葉にし、
生きることについて問い続けておられるからです。
生きていること、そのこと自体が
人生はまだ終わっていないという証なのではないでしょうか。
どうか、一人で抱え込まないでください。
あなたの命は、失われてよい命ではありません。
私は、あなたが再びご自身の力で歩き出せる日が来ることを、
心から願っています。
合掌


