ずっとひとりぼっちの人生?
私には友達が一人もいません。
幼稚園や保育園に行っていなかったのでこれといった幼馴染もいません。
家族は友達がたくさんいるのに私だけ。
家族やいとこに「友達は作らないの?」と聞かれたこともしばしば。
友達が欲しいと思った事はありますが、
どんな会話をすれば良いのか等、分かりません。
「今更作ってもなぁ・・・」と思うことがあります。
正直、一人の方がラクで好きで、よく一人で買い物や映画に行くのですが
「恥ずかしくないの?」とよく言われます。(友達がいないって恥ずかしいことなのかと疑問を抱きますが・・)
家族が友達とツーリングなどしたり、
ネットで友達と遊んでいる写真(見知らぬ人の)を見ると
とても羨ましく感じます。
友達・・・と言ってもただ放課後や休みの日に遊ぶ、
所謂、遊び仲間はいましたが学校が離れてからは疎遠に。
友達がいない歴=年齢。
ずっとひとりぼっちの人生になるのでしょうか?
これが運命なのでしょうか?
乱文ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
サイのツノのようにただ1人歩め
友達がいないことは恥ずかしいことではありません。
逆に自分に嘘をつき、媚びへつらってでも友達といたい。
というほうが恥ずべきことだと思います。
仏教には
『善知識』(ぜんぢしき)
という言葉があります。
噛み砕いて言うなら、
『良い方に導いてくれる友達』
のことです。
いたらぬ自分に気づかせてくれたり、懸命に頑張る背中を見せてくれたり。
お互いに良い影響を与えあえる友達のことです。
お釈迦さまは
そんな『善知識』ができることは人生の中でもこの上ないほどの喜びである。
とおっしゃっています。
しかし、そんな『善知識』に出会えないならば、
『サイのツノのようにただ1人歩め』
とおっしゃったのです。
尊敬できる友に巡り会えたなら共に影響を与えながら進めばいい、
しかしまだそんな友と巡り会えていないなら。
堂々と1人。サイのツノのように歩めばいいのです。
そんな風に歩む背中は必ず誰かが見ています。
その歩む道中。
素晴らしい『善知識』と出会えることでしょう。
質問者からのお礼
『善知識』・・・素敵な言葉ですね。
『サイのツノのようにただ1人歩め』 ・・・・・なるほど。勉強になります。