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夫の気持ちが分からない②

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有り難し有り難し 15

夫との事について、またご相談させてください。

前回回答をいただいてから、気持ちを切り替えてできるだけ普通に、笑顔で接するよう心がけてきました。

共働きで、一緒にいられるのは夫が帰宅してからほんの1時間ほどだけです。私は夫と会話したいのですが、夫はそんな気はないようで、その日あったことや家のことなど私には聞かず、わざわさ子どもたちを呼んで私の目の前で子どもたちに聞いています。
夫から私に話かけてくることはほとんどなく、本当に用事がある時だけ仕方なく話かけてくるような状態です。

先日私が体調を崩した時は「早く寝ろ」と言っただけでほっとかれてしまいました。

せめて挨拶だけでも、と思い声をかけるのですが夫は返事はせず、したとしても「うん」と言うだけです。子どもたちには挨拶は大事だと言い聞かせているのに、私には生返事しかしてくれません。

俗に言う倦怠期なのでしょうか。少しずつだんだんとそんな関係になったのなら多少諦めもできますが、急にそんな関係になったので私にはただ寂しいだけです。

諸行無常。夫の気持ちは変わるかもしれないし、変わらないかもしれない、と自分に言い聞かせているのですが、夫に無視させているような今の状態ではやっぱり辛いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫もスネることだってある。

ご主人の中に口に出さないまでも、気に入らないことがあるのかもしれません。
詫びて、聞きだして観てはいかがでしょうか。
夫婦の間にプライドは不要です。勝ち負けはありません。
子どもの為にもあなたはもっと明るくなって欲しいです。
ご主人も一家の大黒柱。
あなたも一家の大黒柱なのです。
あなたがご主人を支える大黒柱なのです。
ご自身も大変でしょうが。私だけ大変、と思ってしまっていませんか?
ご主人もメチャ大変なのです。本当はもっとあなたに甘えたいと思います。
ですが、あなたが元気がなかったり、不機嫌だったり、不安が表情や態度に出ていると、ご主人も遠慮したり、諦めモードになってしまうものです。
「ごめんなさい」は一度で十分です。
その後はゴメンナサイからありがとうで。
「心配なの」オーラより、「愛してほしい」オーラです。
悲しいことに世の中の女子のモテモテちゃんは甘え上手なブリッ子キャラです。
なぜ、それがモテるのか。男性の母性本能をくすぐるからです。
今まで通りの接し方でダメだということは、それ、ダメなんだと思い、接し方を変えてみることです。(^<^)
自分の中で理想を要求することが優先されると、現実のご主人がそうでない時にガッカリ度が二倍になります。お子さんばかりに気を向けているとご主人は「自分のことに気を向けてくれていない」と思って羽ばたいちゃいます。ご主人が喜ぶように接してあげてください。
私なんか、子供3人ですから、ワイフの優先順位は1子供2子供3子供4スマホ5ドラマ6…98ゴミ捨て99わたし(泣)くらいなもんです。どんな時でも子供より旦那を優先させる勢いがあると夫としては有り難いものですが(ノД`)・゜・。、世の妻というものは子供を優先するものにて、その時、かつての恋人であった夫は背中が17パーセント泣いていることを世の女性陣はご存じではないものです。
夫が若いオナゴに行くということは、恋人を必要としていると考えてみてはいかがでしょうか。
もう少し申し上げれば、あなたが恋人になってオレの所に帰ってきてほしいと言っているのですよ。
ねえ、世の男性の皆さん。
それでは、お聴きください。ミッドナイトブルーズ♪

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下様。
続けての回答ありがとうございます。
男性の立場からのご意見で、正直勝手な言い分だと思われる箇所もありましたが、逆にそれが男性の本音なのかとも思われました。
何よりもっと明るくなってほしいとの一文は涙が出るほど嬉しかったです。
この一言を本当は夫に言ってもらいたかったな…

夫への接し方をどのように変えればいいのか分かりませんが、少なくとも私の夫に対する見方は変えていけるかなと思いました。

ありがとうございました。

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