心が詰まってます。苦しいです。辛いです。
私は現在高校生で、そしてまだ新学年から少ししか経っていないのに片手で数える程しか登校出来ていません。学校で何かあったわけでもなく、中3の頃ある日突然学校に通えなくなり少しずつ休みが増え、何が原因か分からなく不安で。
気づいたら全く外に出ないこともよくあります。日にちが経つほど、こんなのが私の人生?生きてる意味はあるのかと思いました
辛いのを乗り越えて大人になっていくと聞いたことがあります
でも私には夢がなくそもそも将来を想像ができない。
夢?でも大人まで、未来で生きている保証は?
それなのに周りの人はなりたい将来を、未来の自分を想像して語っています。
なぜどうしてそんな不確定な未来が当たり前のように想像ができるのかとても不思議です
私の家族はとても優しいです
『辛いなら休んでもいい、辞めてもいいんだよ』『少しでも外に出よう、どこへ行きたい?何が食べたい?』『先のことは後で一緒に考えよう』とずっと私に声をかけてくれます。きっと私は本当に家族に恵まれているんだな、幸せなんだなと思います。
もちろん嬉しいです。
でも、だからこそ、その優しさが痛いんです。苦しい、辛いです
欠席日数で親と共に面談の時も散々言われても、『一緒に見返してやろう、負けるな』と笑顔で言ってくれました。その夜自分の情けなさに私は泣きました。
通えてない今でも毎日美味しいお弁当を作ってくれます。『今日は行けなかったね。今日はゆっくり休もう。明日は行けるかな、頑張ろうね』朝休む度に言ってくれます。お昼は1人で家でそのお弁当を食べます。泣きながらありがとう、ごめんなさいと言いながら食べることもありました。
前に私の不登校が原因で母がうつ病になりました。今では改善しても、それでもきっとかなりの不安があると思います。
それもあり、家族にはどうしても本音が気持ちが言えません。
でもそんな家族だからこそ、私がいない方が幸せだったのではと思うようになりました。
こんなはずじゃなかった。どこで間違ったのか。初めから間違っていたのではないか。
私が家族の本当の幸せを奪ってしまったのではないか。
自分なんか壊れてしまえばいい、消えてしまえば。
この文もきっと矛盾だらけでわけわからないとおもいます。
自分でも訳が分かりません。何をどうしたらいいのか真っ暗です。
消えたいのに、助けを求める自分が分かりません
助けてください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫だよ。
長い人生です、回り道なんて大したことじゃないよ。
わたしは、高1の時に目の前でお寺がぜんしょうしてしまい、それから学校にも行けなくなり、家での居場所さえない様に感じ、結局、学校も辞め、家も出ました。
実は私の妻も、いろいろあり、高校を、途中で辞めました。
モチロン、省みるところもありますが、まあ、それなりに幸せな人生かなと思います。
娘が、高校生になり、夫婦で話す事も多くなりました。
貴女のご家族は本当に優しく暖かい素敵な家族です、親には少しくらい迷惑や心配かけて大丈夫ですよ。それが、親だから大丈夫、子どものために全力で、時には命をかけることが幸せになんだよ。
大丈夫だよ、逆に言ってくれない事が、辛く悲しいです。
悩まない人なんて誰もいないよ、口に出さないか、深く考えない様にしているか。
あなたなば、絶対に大丈夫 幸せになれるから。
いっぱい悩んで、いっばい経験して、いっぱい学んで、いっぱい恋をして、幸せになろう、きっとなれるから大丈夫。
一つだけ先輩からの 言葉のプレゼント
『 頑張る と 無理する は違う 』
無理していませんか?
私たちもいつも見守っていますよ、何かあったらまた、お話しを聞かせてください。
百千さま
文章わけわからないことなどありません。よくわかりました。
優しく、繊細で、こころの美しい娘さん。そう伝わってきました。
動かないと気の巡りも悪くなるので、すこし散歩されるといいと思います。
すこし目を外に向けて青い空、白い雲の様子、風で揺れる木々、鳥の声、花の香りを
感じるといいと思います。何も考えず、ただただ感じるといいと思います。
「何をどうしたらいいのか」とありました。無理せず、もしできたら「どうしたらいいの?」と
自分の心に尋ねてください。時々問いだけ自分に向けてみてください。
自分の頭で考えて答えを出そうとか何もせず、ただ問いを自分の心に放り投げるという感じです。
沢山の精神科医、心理カウンセラー、牧師さん、お坊さんが束になっても敵わない答えを
こころは返してくれます。こころには、本当に信じられない位の大きな力があります。
百千さん自身のこころをどうか信じてください。答えは全部はじめから
自分のなかに用意されています。ただ問いを向けて、あとは耳を澄ましていてください。
苦しい、つらい、不安・・・いろいろな気持ちを取り除こうとしたり、有ってはいけない
ものとしたり、、拒絶するともっと苦しくなります。
つらいでも不安でも、その時々の気持ち、様子に手を付けず、無くそうとか忘れようとかせず、
ただただ感じてみてください。不安というものを、前に置いてただ観る、感じる、味わう、
無理はしなくていいのですけど、できれば試みてください。苦しさ、つらさ、不安、どんな気持ちも
その人を苦しめるために出てきているのではなく、その人のための何らかのメッセージと思っていいと
思います。大事にしてあげてください。
以前、不安、恐れをただただ感じ続けた時、大きな気づきのあったときもありました。また、胸がじーんと暖かいもので充たされたことも何度もありました。
自分の今の、ありのままの様子を、それがどんなことであっても拒絶せずに受け取ること、
ただ感じ切って行くこと、それに尽きると思っています。
良い流れが生まれますように、こころからお祈りしています。
https://www.youtube.com/watch?v=SwJRfySQwgs
心休まる歌かと思いまして・・
すすむこと。
おつらいことと存じます。
将来を不安に思わない人は、誰もいないと思うのです。
ですから、あなただけが特別なのではないと思います。
人間は、将来というものに対しての、一定のビジョンを決め、
それに向かわねばならないという、どこか、自分自身への
暗示をかけることがあります。
それが物事を、危険をさけながら進むことへのチカラにもなる
一方、そうならなかったらどうしたら・・・?という、「見えない世界」
への恐れを生むことにもなります。
そうして、未来を思ううち、「いま」もまた、みえなくなってしまうのでは
ないでしょうか。
禅の言葉です。ちょっと難しいかもしれませんが
「大死一番(だいしいちばん) 絶後(ぜつご)によみがえる」
という言葉があります。
わたしなりの要約ですが、
「どんなに苦しくても辛くても、呼吸は止まらないし、足もうごく。」
というものと理解しています。
もっというと、「くるしいところでとまっていたいのは、こころだけ。」
ということです。
未来を思うあまり、いまを進められない。
でも、身体は呼吸をしてくれています。トイレにいくために、足も
動いてくれます。からだは未来を考えもせずに、いまここで
できることをしてくれているのです。
いま、ここで、できることをひとつひとつ、なんでもけっこうです。
ただ歩くでもいい。ただ呼吸するでもいい。ただ本を読むでもいい。
ただ親に、感謝するでもいい。ただゆっくりとねむるでもいい。
それらなんでもない一歩一歩が、あなたの「こころ」を進ませると
わたしは思うのです。
そうして進むうちに、いままでの一歩一歩が積み重なって、
「あなたがするべき」ことに出会うはずです。それはわたしにも
わかりません。あなただけの特別な出会いです。
こころを進ませてみなければ、出会いもありません。
いまのままです。
「苦しみは、こころの器を広げるもの」と、中学校の先生に
言われた言葉を、よく最近「そうだなあ」と思い返すことがあります。
だからわたしは「こころというのは死ぬまで成長するもの」だという
自分なりの信念みたいなものをもって生きています。
いまできることを一歩。それがあなたにとって、よろこびへと
向かうものになるよう、祈り続けます。
さちあれ。さちあれ。合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
おふた方の言葉に勇気をいただき、少し気持ちを整理してまだ全てではありませんが、母に今の気持ちは話してみました。お互いに泣きましたが、話して泣いた後には不思議と心が少し楽になった気がします。
今はまだ心のモヤがとれきった訳ではありませんが、おふた方の言葉に大変救われた気がきます。
それでもまた詰まってしまったら、またご相談させていただくかもしれません。
ですが、おふた方にいただいた言葉を思い出して、ちょっとずつ頑張って生きてみようと思います。
本当に感謝しております。
ありがとうございました。