相手の気持ちを考えない人との関係について
初めまして、お忙しい中読んでいただいてありがとうございます。
相手の気持ちを考えて話すということ、これは難しいことなのでしょうか?
きっかけは、職場で仲良く話していた人から私にとって家族と言えるくらい大切な人に対して酷いことを言われました。それに、友人が乗ったのです。本当にショックでした。
怒りで手が震えるほどです。
私がどのくらい大切に思っているか知らなかったにしても、好意的に思っている人とは知っていたのに、どうして口に出す前に言ったら私がどう思うかなど考えてくれなかったのでしょうか?
その後、なんとか怒鳴らず返事を返しましたが無言で席を立ってそのままになりました。
私が怒ったことはわかっていると思うのですが、発言した人、乗った友人どちらも謝罪はしませんでした。
むしろ、怒られちゃった、などとどうして怒られたのかわからないという態度で、そして私のことを面倒に感じている気がします。
確かに、怒ったり怒鳴ったりする人は面倒かもしれませんが、言ったら怒るという考えに至れないのでしょうか?
それとも私の心が狭く短気なのでしょうか?
ですが、大切な人に酷いことを言われて怒らないでいられる方が私には不思議です。
今までも他の友人などに、思いやられないことを言われたこともありますが、今回ばかりは事も事で許せそうにありません。
かと言って、職場で顔を合わせる以上無視も大人としてどうかと思い、挨拶や返事は返しました。
ですが、今後の関係に悩んでいます。
長くなってしまいましたが、こういったことになった場合、これから自分はどう変わればよいのか、相手とどう接していけばいいのかお言葉やアドバイスをいただけると嬉しいです。
宜しくお願いいたします。
お坊さんからの回答 1件
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明るく明るく
拝
相手を思いやり話すという行為は慈悲がなくてはできません。
そして慈悲は「こんな事を言ったら相手が何て思うだろう」という推測から生まれます。
私たちは無意識に推測を立てながら相手と話をしているのですが
その推測を相手ではなく自分の利益ために使うとするならエゴが強くなり相手を傷つけるでしょう
また推測は経験を積み重ね成熟させるべきものですが
コミュニケーションの経験が浅ければこれもまた人を傷つける事になりましょう。
こうしたパターンは徳が少ないともいえますが
接する時は感情的にならない事です
感情的に無視をしたり攻撃すれば貴方自身が自分を貶めてしまいかねません。
そして、貴方の苦しみは好意的に思っている人の発言が
自分で期待していた程に気遣いが及んでいなかったことによるものです
つまり実は聞く方である貴方も推測して聞いているものなのですが
受働側である貴方の推測は慈悲ではなく執着
また推測は体調や外的要因により波があるものです
当然貴方自身にもその波はあり
知らずに人を傷つける事もありましょう
ですから自分のためにも相手のためにも寛容になる事です。
話す時は自分の考えを理解してもらいたいと思わずに
自分は自分という意識を持ち坦々と明るくしていれば良いと思いますよ。
合掌
質問者からのお礼
お忙しい中、読んでいただきまた回答をいただきまして有難うございました。
今まで私にも、こう返してくれるだろう、こう対応してくれるだろうという憶測の傲慢があったのだと気づくことが出来ました。
残念ながら、この質問の際はこちらからした話でなく向こうから一方的に言われたことだったのですが、許せずとも向こうとの意識違いだから仕方ないことなのだと思えるようになりました。
今後の関係性がどうなるのかはわかりませんが、どんな態度であれ自分らしく対応すればよいのだと少し気持ちが楽になりました。
回答のお礼が遅くなり大変申し訳ありませんでしたが、ご回答有難うございました。