高校生の娘の反抗に傷ついてしまいます
はじめて質問させていただきます。
その前に、私がこのサイトに出会った経緯を少しお話させて頂きます。
私が幼稚園生の頃から高校卒業するまで、毎日、父親の命令で「般若心経」を写経させられていました。
父親は死ぬまで無宗教で、子供たち(私と弟の2人)に仏教に関して話してくれたことはありません。
父に尋ねても写経を強いる理由は教えてもらえませんでした。
思春期には、写経しながら心の中で父を罵倒していました。おかげで仏教が大嫌いな大人に育ちました。
しかし、40代になった今、仏教に親しみを感じるようになりました。
そのような経緯で、このサイトを知りぜひ相談してみたいと思いました。
反抗期の娘にとって、共感してくれた人は「味方」、共感してくれなければ「敵」という考えなので、少しでも違う意見を挟むと、言い合いになります。
また父親には従順で、母親の私にだけきつい言葉で、批判してきます。
でもそれはどこの家庭でもあることだと思います。
問題は私にあります。
先に書きましたように、毎日正座させて幼い子供たちに写経させる家庭環境は父親が強く、母に決定権はありませんでした。
私は、両親に口答えも反抗もしませんでした。私は反抗期がありませんでした。
私が反抗しなかった理由は、父親が怖くて逆らえなかったからです。
また、父の一歩後ろにいる母を傷つけることはできませんでした。
でも、本当の理由は、親といえども理不尽で不完全な存在であるということを前提に親と向き合っていたからです。写経など理不尽の極みだと思っていたからです。
反抗期のなかった自分を偉いなどとは思いません。
ただ娘の反抗に、まったく理解ができないのです。
夫は「おまえは反抗期がなかったから、娘の気持ちがわからないんだろう」と言います。本当にわからないのです。
穏やかに接しても、私の意見をいっても娘の攻撃は変わりません。
今私は理解のできない生き物といる気がします。
娘に対する嫌悪感を持て余してしまいます。
自分も反抗期があったなら、娘の気持ちもわかるのでしょうか。
でも過去に戻れるとしても父母に反抗する気は起りません。
厳しいご意見でもかまいません。
お言葉をいただけたら幸いです。
自分の感情のコントロールを懸命にして、目の前にいる人を傷つけないことに成功しても、負の感情がたまってしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ゆっくりじっくりと
拝読させて頂きました。お子様のお心を理解できず親子関係で苦しんでおられることと読ませて頂きました。母親として大変おつらいことですよね。
よく読ませて頂くとあなたは決して反抗期がなかった訳ではないと感じました。反抗心はあってもお父様の厳しさの為に内心反抗してはいてもお父様の強圧的な教育によりできなかったのではないでしょうか。仮にそうであるならばご自分のその時の思いを思い出してみてはいかがでしょうか。きっとあなたのその当時のお気持ちとお子様のお気持ちとの共通点を見つけることはできるのではないでしょうか。
ゆっくりじっくりと思いなおしてみて、それからまたお子様思いをお感じなさってみて、そしてお子様にお向き合い頂きたいと思います。
あなたとお子様とが心から思いを分かち合うこととなる様に心からお祈りさせて頂きますね。
質問者からのお礼
丁寧にご回答いただきありがとうございます。
私の反抗期についてのご指摘、よく考えてみました。
私は反抗期がなかったわけではなく、反抗心を無理に抑えて、表に出さなかっただけでした。
自分のことなのに、自分が見えていなかった…本当に驚きました。 こんな簡単なことにどうして今まで気づかなかったのでしょう。 相談して良かったと思いました。 目の前の霧が晴れたような気がしました。
これから、娘ののことを理解できないなどと言わず、話し合っていけると思います。
ありがとうございました!