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嘘を平気でつく夫について

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

ちょうど昨年、夫が私の貯金からお金を引き出してたのに気付き働いてないのに働いてると嘘をついてたのがわかりました。そのことがバレると夫は逃げだし一週間後、帰って来ました。
そして、色んな嘘をついてたのがわかりました。例えばバツ1だったことや昔にも家出をし借金を作り家に戻ってきたことなど。
なので、私の親が、やり直せるチャンスをあげるかわりに、またこういうことがあるといけないので離婚届けを書いてもらいました。
本人も後がない、子供の為にも、もう頑張るしかないと言ってたのは、今また同じようなことをしました。もう、別れた方がいいのでしょうか?嘘つきは治らないんでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

治らんでしょう

まず、治らないと思いましょう。
なんども裏切るタイプは家族より自分が大切なので慎重に処した方が良いです。そういう人間を無宗教=エゴ=自己中心っていうのですから。
まず子供は父親、父性を求めるでしょうから、その方に父親としての自覚をすこしずづ持っていただくほかはありません。
子供よりも自分優先な生き方をされていくようでしたら、諦めるほかありませんね。え、自分優先、したんですかい?
それでもそんな人を選んでしまったのもあなたですから、最後まで添い遂げる覚悟、愛情があってもいいかとは思いますが、え?もうない?冷めた?(T_T)
典型的なダメ亭主ですので、かこって養ってあげる代わりにあなたが鬼嫁になって夫をプロデュースして、力添えをする事で、変わってゆく部分もあると思います。え?見込みなさそう?
仏の顔も三度までと言いますから、もう一度チャンスを与えますか?え?もう三度目?(^3^)
このご時世、あまりにもダメ親父、そういう父親だったらいない方が良い場合もあり、それでもいないよりましな場合もあります。
最終的に選択決断するのはあなた様ですから、より価値を感じる方、より安全な方、子供の為にも、こうしたほうが良いだろうという事を、子供さんたちと言葉を交わしながら決めていくしかありませんよね。
本音の語らいをご主人とすることで、相手が本当にどういう人物かが見えてくると思います。
アナタにも人生があります。
誰にでもダメな面はありますから、あなたが何処まで容認できるか、です
たぶんまだまだ黙っている部分が沢山あると思います。借金もしているのではないかと思われます。
お父さんにおじいちゃん兼お父さんになって頂けるかどうかお願いしたらどうでしょうか。
娘が帰って来てくれて喜ぶ父親って何気にヒソヒソ多いものです。
的確なアドバイスではないでしょうが、100の選択肢の一つにでも入れておいてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
幸い借金は無かったです。ですが、やはり離婚することになりました。

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