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苦しみの多い人生を少しでもましにするには?

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有り難し有り難し 21

仏教では生きることは苦しみであると説いていることは、自分なりに仏教を勉強して少しは分かっているつもりです。しかし、去年は私をかわいがってくれた祖母を亡くして愛別離苦の苦しみを味わい、数年前からは、会社の老害である人物に毎日顔を合わせて怨憎会苦の苦しみを味わい、仕事では待遇に見合わない責任を負わされ心労が絶えません。たまには、楽しいと思う事や、うれしいと思う事もあります。しかし、苦しいと感じる事のほうがはるかに多いと思います。ふと冷静になると、こんなに苦しいことばかりで生きていくのが苦痛で、自分のこれからの将来に絶望してしまうことがあります。まだまだ不勉強でわからないのですが、仏教(釈尊)はこういった悩みにどういった回答をされているのでしょうか。最近、年を取ったせいか(まだ31歳ですが)釈尊や阿弥陀如来様、地蔵菩薩様などのエピソードやそのお慈悲を知り、有難さに涙してしまうことがあります。人間の苦悩に真剣に向き合う宗教は仏教だけだと思っています。ご回答お願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

後生が救われることが、人間のもっとも大きな救いです。

「後生が救われる」とは「来世仏になることが決まる」ということです。
仏になることが最上至極の幸せですから、仏になることが確定することが現世における最高の救いです。

「人生は苦なり」という言葉は、「六道輪廻は苦しい」と言っているのです。
そして「苦」とは「思い通りにならない」という意味です。
人間に生まれることも地獄へ生まれるも思い通りにならないという意味です。
そんな人生のありかた全てを「苦」とお説き下さったのです。
そんないのちを生きている私に六道輪廻から解脱し仏になることをすすめているのが仏教であります。

浄土真宗は阿弥陀様に全てお任せし仏になります。
いつ仏になるのかと言えばいのち尽きた臨終時です。
だから死ぬこと=仏になると言えます。

ということは今の人生は仏になる前のイントロのようなものです。
今は思い通りにはならないけれども、必ず仏になるいのちを生きていける。
これがもっとも大きな救いであり死ぬことがただの悲しい別れになりません。
死んで去る「死去」ではなく、浄土へ往って生まれる「往生」のいのちを頂いて生きている私はとても幸せです。

仏にならせて頂く大きな安心の中で悩み苦しみながら御恩報謝の生活をさせて頂く。
そんないのちを頂けるのが後生が救われた後の人生です。
とても慶びの多い人生です。

追記:真宗門徒とかどうかは全く関係ありません。阿弥陀様は十方衆生を仏にすると誓ってくださった仏様で、全てのいのちを仏にしてくださる仏様なのです。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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「出離心」と「菩提心」と「慈悲心」について

ミジンコ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人生、本当に苦しいことばかりが多いように思います・・拙生もそうでございますし、皆さんもそうなのではないかと存じます・・それだけやはり、生きるということは苦しみを伴うことが多いのだと実感致します。

「こんなに苦しいことばかりで生きていくのが苦痛で、自分のこれからの将来に絶望してしまうことがあります。」・・悲観的・虚無的になってしまうのも、もちろん理解できますが、仏教では、まず何とかこの苦しみの世界を厭って、ここから脱したいと望む気持ちを大切に致します。それがまず「出離心」となります。

そして、「出離心」の次に大切となるのが、悟りを目指したいという志としての「菩提心」となります。

この苦しみの世界にいるのは、何もミジンコさんや拙生だけではありません。上記でも述べましたように、皆、「苦しい、苦しい」と喘いでおります。何とかこの苦しみの世界を皆と共に脱して、悟りの世界へと向かうべくに、「菩提心」を起こすことが求められるものとなります。

お釈迦様もそうですが、如来様方や菩薩様方も実は、悟りを開くまで、あるいは菩薩道を歩むまでは、「苦しい、苦しい」と私たちと同じように苦海の中を喘いでこられたのでございます。だからこそ、私たちのように苦しみにある者たちのこともよくよくに理解なされておられるからこそ、心底から何とか救ってあげたいという慈悲の御心がおありなのでございます。ミジンコ様がその慈悲の御心の有り難さに涙なされたのも、当然にミジンコ様の苦しみも我が事のように全て知っておいでであるからでございます。

人間の苦悩に真剣に向き合う宗教は仏教だけではなく、キリスト教ももちろんそうでしょうが、とにかく、仏教では、悟りへと向けてのより善い「縁」をできる限りに調えていくことが必要となります。その悟りへと向けたより善い縁を調えていくための教えが仏教となります。

是非、これからも仏教を学び修していくことを進めて頂けましたら幸いに存じます。共に頑張って参りましょう。

追伸・・まだ31歳、人生これからです。色々な良き出逢いのご縁もまだまだあるでしょうから、是非、前向きに取り組んでいって下さいませ。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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質問者からのお礼

釈心誓 様ご回答ありがとうございます。阿弥陀如来様の衆生をお救いなるという慈悲の心は有難いのですが、浄土真宗の門徒でない私でも、救済の対象になるのか心配ではあります。

釈心誓様 追記をしていただきありがとうございます。阿弥陀如来様のご慈悲を励みにしたいと思います。
川口様 前回に続きまたご回答いただきありがとうございます。川口様のおっしゃる通り、考えてみれば釈尊も悟られるまでは我々同様苦しんでおられたはずですね。これからも仏教の教えを学び、これからの人生をより良く過ごせるよう努力いたします。
ご両名様、また悩める時にはよろしくお願い致します。

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